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映画ドラえもんシリーズレビュー 18作目~25作目

映画ドラえもんを1作目から順に改めて観るっていうのを去年あたりからちょっとずつやっていて、今年に入ってから観たぶんはフィルマークスに感想書くようにしてたので、それをまとめただけです。第18作『のび太のねじ巻き都市冒険記』から、第25作『のび太のワンニャン時空伝』までの感想です。ちょうど藤子・F・不二雄先生没後初めての映画から、大山のぶ代ドラえもんの最終作までという時期。

1作目~17作目の感想はメモ帳に箇条書きの形で書いてあるので、ちゃんと書き直してアップするかもしれないし、しないかもしれない。

 

第18作『のび太のねじ巻き都市冒険記』(1997年)

原作は子供の頃に繰り返し読んでて、シリーズの中でもお気に入りだったと記憶している。ぬいぐるみやオモチャだけでできた町のミニチュア感が楽しい。また、エッグハウスという“キャラの誕生の場”があるのが独特で面白い。
映画版も昔1回ぐらい観ているはずだけど、改めて観るといろんな引っ掛かりポイントがあった。

まず、原作者が途中で亡くなったこともあり、かなりまとまりのない話運びだと思った。特に前半は、ドラえもん一行やねじ巻きシティーの話がどこに向かっているのかイマイチわからない。一方それらと全く関係なく登場する悪役の熊虎鬼五郎一家のほうがむしろ『のび太の大魔境』みたいな正統派の冒険譚を担当していて、こっちの話の方が推進力がある。子供の頃はなんとも思わなかったけど、変なバランスで面白い。
あと、冒頭から登場するパカポコがしばらく何の説明もなかったり、鬼五郎が野比家に侵入するのが特に理由付けされていなかったりなど、展開・要素が多いわりに説明が端折られたり流されたりする部分が多い印象。それに加え、全体的になんとなく会話や展開のテンポが早くて、原作を先に読み込んでなかったら話についてくのが難しいんじゃないかとすら思った。

原作からの変化で気になる部分も多かった。ウッキーが地球から連れてくるメンバーは原作と映画で若干違ってるんだけど、インパクトやクライマックスのバカバカしさという点で、やっぱり原作の方が良い。あとこれは漫画とアニメの媒体としての違いの話だけど、漫画だと静止画表現なのでぬいぐるみの無表情な可愛さと相性が良かったのが、アニメだとピーブやプピーが口を動かして喋るからあんまりぬいぐるみ的な可愛さじゃないな…と感じたりもした。
そしてこれもアニメ表現特有の問題なんだけど、“ホクロ”の声がオリジナルの鬼五郎と全然違う繊細そうな声なのがあまりいいと思わなかった。自分の解釈では、原作のホクロはオリジナル鬼五郎とそんなに人格の変わらない存在だと思っていたので、アニメだとラストが文字通り「完全に別人に生まれ変わった」ように見えて、“改心”の表現としてそれは良い話なのか…?と違和感を覚えた。個人的にはホクロ鬼五郎はオリジナル鬼五郎と同じ声優(内海賢二)を当てたほうが良かったんじゃないかと思う。

原作と共通の引っかかりポイントとしては、ジャイアンの土木建設事業が止めさせられる話はもう少しフォローがあってもいい気がした。環境破壊が悪いのであって開発という営み自体は悪ではない(現に作中でもメジソンは環境にいい資材を使って建築業をしてることが言われたりする)のだから、ジャイアンが仕事をやめるのが正しいこととされるような描写に違和感があった。メジソンたちと協力してジャイアンも建設事業を環境に優しい形で再開する、みたいな描写が、例えばエンドロールにでもあったらよかったのにな、とないものねだり的に思ったりもした。
(それはそれとしてジャイアンがショゲて可愛い感じになる展開は『アニマル惑星』以降の定番でもあるので、そういう見せ場があるのは良かった。ジャイアンとティラちゃんの再会シーンが、周りは茶化してる感じだけどBGMは当人たちの情緒に合わせて感動的な感じになってるのとか良いなと思った。)

一番気になったのは、「生命のねじ」によって命を与えられたぬいぐるみ達が死ぬことはあるのか、という疑問がどうしても浮かぶこと。作品の雰囲気に対してシビアな問題なのはわかるけど、「生命」という言葉を使っている以上は、間接的にでもその疑問に答えるような描写が欲しいと思った。それがないので、のび太たちが無邪気に生命を生み出していくのがちょっと無責任で危うく感じた。
しかしよく考えてみると、のび太が死んだ!?というような展開があったり、ホクロ鬼五郎が子供たちを殺したと思い込んで罪の意識を持つ描写があったりと、メインキャラに関してはシリーズの他作品に比べて死のイメージがつきまとう作品であることは確かで、「生命」に対する「死」はこういった形で表現されているということかもしれない。
それに加えて“種まく者”の登場、そしてもちろん原作者藤子・F・不二雄の死という作品外の大きな要素もあり、完璧な形ではないにしろ、この作品全体が「生命と死」という巨大なテーマに貫かれていることだけは間違いない。そういう意味で、先に挙げたような諸々の細かいところがもっと良ければ、この作品はレベルの違う大傑作と思える作品になってた可能性もあったのかも…と思う。

 

第19作『のび太の南海大冒険』(1998年)

思ったより良かった!
子供の頃観たかどうかはっきり憶えていないし、漫画版は読んだはずだけど繰り返し読んだわけでもないのでそんなに期待してなかったけど、観てみたら思いの外結構良い作品だった。

藤子Fの死後初めて一から作られた映画。この作品が出来たからこそ原作者亡き後も現在に至るまで映画シリーズが作られ続けているという意味で、とても重要な作品。
短編『南海の大冒険』『無人島の大怪物』を物語序盤のベースにし、全体としては初期作品のようなオーソドックスな冒険譚(特に『恐竜』『日本誕生』が近い)に仕立て上げていて、手堅い作りだと思った。

まず、海洋冒険モノというジャンル選びが上手い。今までにありそうでなかった(『海底鬼岩城』は海底が舞台なのでちょっと趣が違う)し、宇宙や異世界を舞台にするとどうしても“藤子F的な”センス・オブ・ワンダーが問われるため、分が悪くなってしまう。その点地球の海洋という比較的身近な場所を舞台にしているのは、これまた手堅い判断だなと思った。

内容を見ると、まず冒頭の日常の場面から、タケコプターで家から出るのび太をダイナミックな動き付きでケレン味たっぷりに見せていたり、引きのカットが多かったりして、前作までに比べてグッと映画っぽくてカッコいい見た目のシーンが多くなっている気がした。別に格段にアニメとしての出来が上がっているという訳でもないけど、明らかに本作から映画的なルックの良さが増している印象があり、ハードルが高かったであろう本作の制作陣の意気込みを感じられるようで良かった。
ちなみにOP映像も今までの微妙なCGではなく普通のセル画アニメになってて、これがなかなか格好いいんだけど、内容は本編とあまり関係ない。

序盤の見せ場である海賊同士の戦闘シーンが本作で一番好きかもしれない。その中でもドラえもんが樽爆弾ごと飛ばされて爆発する一連のシーンがタイミング含めて気持ちのいい演出で「おお、映画っぽい!」と思った。

その他、のび太とジャックが改造生物たちと初めて直面する恐ろしい場面や、のび太が繰り返し夢にうなされるところの幽体離脱的な表現など、印象的で好きな場面が(主に前半)多々あってよかった。

また、お約束展開もありつつ、今までになかった要素や展開もそれなりにあったのも良かった。
例えば、今まで動物に愛情を注いだり異星人と友情を育んだりしてきたのび太だけど、“言語の通じない人間キャラクター”と心を通い合わせる描写はこれが初めてだった。この英語と日本語のままでコミュニケーションをとるシーンは、のび太というキャラの本質的な魅力が出ていてかなり良かった。
あるいは、道具やポケットが何らかの理由で使えないという展開は今までもあったけど、それが今回は“一部の使えなさそうな道具だけ使える”という捻りがあった。こんな風に、従来作品のキャラ設定やお約束を守りつつプラス要素が加わっていて、それが概ね上手くいっている印象で好感を持った。

後半舞台が地底施設になってからは、悪役のキャッシュがあまり魅力的でないこともあり、前半に比べてダレてきた印象が正直ある。でも、ゴンザレス&パンチョのコミカルな成りすましサスペンスや、毎度お馴染みタイムパトロールのゲストキャラとの意外な関わりなど、それなりに飽きなかった。

ラストは、ゲストキャラ達とのお別れ描写自体はそこまで琴線に触れるものではなかったけど、最後にドラえもんの顔が描かれたマストがバッと広がる終わり方が良すぎたので「100点!!」って思った。
その後のED、曲は全然合ってない(特に語りが入るところがキツイ…)と思ったけど、後日談が描かれるイラストのタッチが好みだった。あの絵柄渡辺歩っぽいと思うんだけどどうなんだろう。

こんな風に、大人になってから「作者亡き後、残されたスタッフが精一杯作った勝負の一作目」という視点で観るとかなり好ましい作品で、結構感動した。
一方で、大部分がそれなりに上手くいってる無難な作りが故に、背景事情に思い入れのない子供の時に観ていたとしてもそんなに印象に残らない“普通の”作品であることも確かだと思う。
しかし、ある意味“普通の”作品になるのを理想として作られたとも言える本作は、こうした手堅さ・無難さが持ち味の作品だと思う。
それを発見できたという意味でも、今こうして改めて視聴することができて、間違いなく良かった。

 

第20作『のび太の宇宙漂流記』(1999年)

敵が敵である動機付けが結局全部アンゴルモアというキャラクターの洗脳に集約されてしまったり、そのアンゴルモアの正体についてもすごく抽象的な結論がつけられてしまったり、シリーズの他作品と比べても「悪役」「敵」という概念の扱い方が手前勝手すぎると思ったのがウ~ン…となった。敵集団には敵集団なりの歴史や思想があるというのが映画ドラえもん的な、もっと言えば藤子・F・不二雄的な作劇だと個人的には考えている。例えば似たような作品である『宇宙小戦争』の悪役描写の厚みと本作とは雲泥の差だなあとつい比べてしまった。
クライマックスの戦闘シーンも、ゲームの中の宇宙船でそのまま実際の戦闘に参加するという流れがどうしても腑に落ちなくて、真剣なバトルとして見ることが全然できなかった。それこそ宇宙小戦争のように改造する描写があったりすればいいのになあと思った。
それから、宇宙人が地球のことをいい星だと言うわりに彼らが地球へ移住するという話には全くならないのも、地球にとって虫が良すぎる話だなあとも思った。
話の壮大さに比べてドラえもん一行がどこか遊びモードに終始している感じもあり、全体的に深みに欠けすぎていたり切実さを感じるべきところで感じられなかったりする点が目立って、おおむね悪い意味で「気楽だなあ」という印象だった。

とはいえこの映画は悪いところばかりじゃなくて、例えばフレイヤの心が揺らぐ場面を宇宙船のハッチというアイテムに集約させているのは上手いなあと思ったりした。
有名な「地球に帰ったと思ったら実は…」のくだりがあるのももちろん本作の大きな魅力。これは映画ドラえもんというシリーズ特有の「のび太たちが冒険の途中で一旦家に帰りがち」という特質を逆手に取った名場面だと思う。

ゲストキャラクターのデコボコチームっぷりは藤子・F・不二雄作品の『21エモン』『モジャ公』を彷彿とさせて、もっとこのチームの描写があればよかったのにと思った。
音楽はやっぱりジョン・ウィリアムズ風を意識してるのかな。

 

第21作『のび太太陽王伝説』(2000年)

最初にレディナが捉える呪文『三つ目がとおる』と同じだ。あれが手塚治虫のオリジナルか知らないけど。

映画ドラえもんシリーズは科学的に裏付けできる(できそうな)設定が多く、ファンタジー的な世界観の場合も拡張現実的な道具の産物であることが徹底しているんだけど、そんな中本作では魔術が現実の歴史として存在していてちょっと異色。でも魔術というより催眠術とか薬による幻覚術の趣が強くて、シリーズのリアリティラインの範疇にはギリギリ収まっていたと思う。

細かい描写でキャラクターの魅力を立たせるのがうまい。ポポルがドラえもんのポケットみて「ハッ!」となってるのかわいい。無意識にあやとりしちゃうのび太かわいい。
あとギャグもうまくてちゃんと笑える。序盤はのび太とティオの入れ替わりカルチャーギャップコメディで展開自体はベタっちゃあベタだけど、ティオの傍若無人っぷりとのび太の調子に乗りっぷりが可笑しい。ティオとのび太の顔での場面転換が何度か続いたあとレディナとママの顔で入れ替わるのは笑った。
ゲストキャラクターの成長ぶりという点ではシリーズ随一。これだけ性格に難があるゲストキャラも珍しく、それゆえティオの成長物語として骨太だった。練習相手の臣下にナメられて手加減されていたことを知るくだりがグッときた。

ティオの著しい成長、ジャイアンの武術と師弟愛、シリーズの中ではとても珍しいスポーツシーンなど、全体的になんだかすごく体育会系のノリを感じた。だからかもしれないが、かなりよく出来た作品だと思いつつ自分はあまり本作にノれなかった感じもある。のび太が唐突に名言っぽいことを言うのとかはかなり鼻白んでしまった。
でも人によってはかなり好きな作品になりうると思う。そういえば小学生の頃、そんなに仲良くないクラスメイトがドラえもん映画で一番好きなのがこれだと言っていた。

 

第22作『のび太と翼の勇者達』(2001年)

ちょっとビックリするぐらいの良作だった!今まで順番に見てきた中ではもしかしたら最高傑作かも…。


東宝ロゴの画面から入る鳥の鳴き声、緑の色合いや陽炎の表現など美しい背景美術をこれでもかと見せる長回し出木杉の解説がそこはかとなく藤子・F・不二雄イズム濃厚な導入、それまでと違いちゃんと本編に即したOP映像と、開始5分でクオリティがこれまでと段違いになってる!と驚いた。『海底鬼岩城』以来の垢抜けっぷり。

のび太の恐竜』を思わせる序盤ものび太の探究心と執着の強さが嫌味なく描かれているし、何より同じ崖から落ちることでグースケとのび太が共感し合える存在であることを示していてとても良い。

バードピアに訪れてすぐのシークエンスの、次々出てくる鳥人たち(ダチョウタクシー、貴婦人、園児etc…)のキャラ立ちっぷりが見ていて本当に楽しい。ホウ博士のフクロウ型の家(耳に出入口があるのかわいい)はじめ建物の造形もいちいち最高だし、ミルクのキャラクターもめちゃめちゃ可愛いし、ずっとニコニコして見てられる。
とりわけホウ博士周りの描写が魅力的だった。グースケが歳のだいぶ離れた彼のことをごく自然に「大親友」って紹介してるの良すぎる。あと、スネ夫が石版に触れたのを注意したとき「驚かしてすまんかった」とか言ってるの細かい描写だけどめちゃめちゃいい人柄だ…って思った。だからこそ憲兵みたいなやつに石版壊されるの本当に悲しくなっちゃった。あとでタイムふろしきで戻ってよかった。

そして何しろ、中盤の見せ場であるイカロスレースのシーンがすごい。キャラクターの動きでスピードや風や空気抵抗を感じさせる渾身の作画。このシリーズで純アニメ的な動画の良さを感じたことは正直ほとんどなかったので感動した。それだけでなく、ツバクロウがグースケを見直す場面が説明的なセリフではなく表情とアクションによる演出なのもすごく良いと思った。

後半から出てくるイカロスのキャラも好き。基本的に無表情の何考えてるかわからない感じが、大型の鳥ってこういう表情してるよな〜と鳥っぽさを誰よりも感じさせる一方で、首から下のガタイの良さは人間のそれすぎて、他の鳥人キャラクターのデフォルメ加減と全く違う造形が異質だった。あと単純にめちゃめちゃデカいし正直不気味でもある。でもこの異形さが神話的で特別な存在としてふさわしく、個人的には好みのキャラデザだった。

それから後も、ドラ映画名物(?)の人類に絶望したイカレ天才科学者が久しぶりに出てきたかと思えば、クライマックスはまさかの怪獣映画までやってくれるという大サービスで、最後までテンション上がりっぱなしだった。

その他にも、スネ夫と雛鳥、静香ちゃんとピーコといったサイドストーリー的な要素が充実してたのも、作品世界の広がりみたいなものを感じさせて良かった。

作中で明かされるとあるゲストキャラ同士の意外な関係は、コミカライズ版だとさらにウェットな描写が入るんだけど、映画版だと最低限の描写にとどまっていた。前述のレースでのツバクロウの描写と同じくスマートだなと感じたけど、子供向けにしては要求されるリテラシーが高めの描き方だと思う。

ダチョウタクシーの行動がどういう理屈かサッパリわからないとか、ジャイアンスネ夫はどんな気持ちで警備隊にちゃっかり入ってるんだよとか、最終対決の決着の雑さとか、ツッコミどころも多々あるけど、なんかそういう部分がないと可愛げがなさすぎるくらいに良く出来た作品なので、それすらも魅力に感じてしまったと言ったら大げさだろうか。それくらい好きな作品だった。

これがキッカケで生物学や機械工学や鳥人間コンテストに興味持ってその道に進んだ子どももいるだろうし、ドラ映画の中でももっと評価されていい代表作の一つだと思う。


映画の感想としては蛇足だけど、個人的にTHE HIGH-LOWSの名曲「バームクーヘン」(1999年)の歌詞を強く連想したので、本作が好きな人にはぜひ聴いてほしいです。

 

第23作『のび太とロボット王国(キングダム)』(2002年)

ドラえもん達が冒険に出るまでのくだりだけで、意味や面白さのわかりかねる展開や描写が10コぐらい積み重なり、開始十数分でこの映画大丈夫か!?となった。
その後も、飲み込みづらい設定や共感しづらい描写が続く。総じて「とってつけたような」という言葉がぴったりくるような引っかかりポイントが多いのが特徴。ピンチをわざわざ引き起こすために違和感のある行動をとるキャラクターたちについていけなかった。

前作『翼の勇者たち』が個人的にめちゃくちゃ良かっただけに、ここまで差が出るのかという驚きもあった。監督や脚本家が代わったわけでもないのに、シリーズ映画って不思議だなと思う。
興味深いのが、「スネ夫が触れると危ないものに触ってしまい、博士に注意される」という場面は『翼の勇者たち』にもあったのだけど、このよく似た場面一つとっても本作の話運びの不自然さ、キャラへの思い入れられなさが比較できるということ。スネ夫ってこんな場面が恒例になるほどオッチョコチョイなキャラだっけ?

ゲストのタレント声優も難しい役やらされてて全然合ってなかったし、藤子Fの他作品キャラが出てくるみたいなファンサービスも別にいらないし、ギャグも表面的で面白くないし、なんかいろいろ上手くいっていない。

一番問題だと思うのは、スネ夫が持ってるロボットの件がほったらかしにされるのはどう考えてもテーマ的におかしいし、単純に後味が悪い。
ロボットと人間の共存、という今のところ現実に存在しない問題について語るなら、それと地続きになるような普遍的テーマと結びつけて語るべきだと思う。だとすれば「物に愛着を持つ」「他者の自由意志を尊重する」っていうテーマで話を広げられたんじゃないかと思うけど、何故か「ママに会いたくなった」という結論に繋がってしまい、もっと本作で大切にされるべきであろうテーマが全く浮かび上がらないままエンディングを迎えてしまった。まあドラえもんが玉子に「うちの子」って呼ばれるのは単純に嬉しくなる描写だけど…。

主題歌は結構好き。

 

第24作『のび太とふしぎ風使い』(2003年)

本作はなんといっても、フー子の可愛さが尋常じゃない。特に下半身の質感がすごい。お腹が上下する描写とか動きとしてもフェチズムに溢れていてとても良い。
ストーリー上の描写としても、のび太とフー子が二人きりで行動するシークエンスが長めに取られていて、二人の関係性に思い入れを持って見ることができる。
のび太が最後にフー子に「がんばれ!」と叫ぶに至る心情の変化を、明確に言葉で説明してしまわなかったのが良かった。子供の視聴者の中にはなぜフー子を応援するに至ったのか理解ができない子もいるだろうし、なんなら自分もはっきりとした答えは出しきれないけど、作品内で説明して明白な答えを提示するのではなく、観た人それぞれに考える余地を残して自分の頭を使う鑑賞体験をさせるのが、子供向けアニメとしても真っ当な作りだと思った。

風がテーマの作品だけあって、全編通して動きがハイクオリティだった。後述する製作体制の変化もあって「技術を見せつけてやる!」という気概を感じる。物語内での必然性はないけれど登場するひみつ道具がほぼ全部風や気流にまつわるものなのも、今回の目玉があくまで風描写ということの徹底になっていて良かった。
風の描写以外にも、どこでもドアが傾いていることで非日常への入口を不穏に示す表現主義的な演出から、のび太が電話するときに受話器のコードをいじるような日常芝居の細やかさまで、アニメ表現として良い部分がたくさんあった。

フー子以外のゲストキャラの描写が薄すぎるのが難点。テムジンがのび太と一緒になって戦うのが唐突に感じた。フー子を巡った風の国の民とのやりとりが見たかった。
『日本誕生』や『南海大冒険』といった作品から設定やストーリー運びの使い回しが多いのも気になる。
あと、せっかくヤカンで火にかけられる描写があるのに熱を食べて成長する設定の伏線になってなかったのが不思議だった。

しかし、本作はフー子の魅力&風の表現という明確な二大目標があり、それが高いレベルで達成されているので、他の要素がイマイチでもかなり満足度の高い作品になっていた。それに加えて個人的にはジャイアンスネ夫周りの描写も面白かった。

ジャイアンは今回驚くべき単独行動に出る。『アニマル惑星』や『ブリキの迷宮』などスネ夫と二人で行動するときは弱みを見せがちなジャイアンが、スネ夫を取り戻すためにシリーズ屈指のトリッキーな蛮勇に出るのはこのコンビの強い友情を感じる。敵がアホすぎるのでそんなにピンチにならないけど…。

そして今回のスネ夫はひとつも良いところがなくて笑う。乗っ取られる前から欲望むき出しで、正気に戻ったあとも傲慢さが残っているのが面白い。レギュラーメンバーの中でこんな役回りできるのは普段から株の低いスネ夫ぐらいだ。


本作から作画監督が渡辺歩になったりセル画からデジタルになったりして、画風も動画の動かし方も今までとは別物のように変わっている。キャラが止まっている場面がほとんどなくひっきりなしに動いているという特徴があり、それに伴って台詞回しや演技も変わってる気がする。
これの次作『ワンニャン時空伝』を子供の頃に繰り返し観た自分としてはこのタッチは慣れ親しんだドラ映画という感じだったけど、この2作品を最後にリニューアル(声優・ スタッフ総入れ替え、いわゆる「のぶドラ」から「わさドラ」に交代)となるので、シリーズの歴史の中ではこの2作のみが特異な作風になっている。このタッチでリニューアル前にあと3作くらい見てみたかった気もする。

 

第25作『のび太のワンニャン時空伝』(2004年)

2005年のテレビ放送(旧声優陣のお別れコメント付き)を録画したVHSを子供の頃に何度も観た。もしかしたら人生で一番観賞回数が多い映画かもしれない。
そのため良し悪しの冷静な判断は全くできないが、今見ると子供の頃には気づけなかった豊かなディティールに気づくことができた。

ハチの時代に来てすぐのジッと神殿を見つめるのび太のび太たちが一時的に野良犬や野良猫を預かる場所とハチの仲間たちが身を寄せるアジトがどちらも線路の下になっているという相似など、言葉の説明ではないスマートな伝え方のセンスが大人になっても鑑賞に耐えうる作品だった。

おばあちゃんの描写も単に原作ファン向けのお涙頂戴のための登場ではなく、おばあちゃんからのび太、そしてイチへ受け継がれる愛情のバトンをけん玉というアイテムひとつでスマートに表現するセンスがこれまた良い。もっと言えば、「もしもしかめよ」の歌詞が膨大な時間をかけてゆっくりと約束を果たした二人のことを歌っているようにも聞こえて非常に上手い。

遊園地で遊ぶシーンは楽しいだけじゃなくて、それぞれが楽しむアトラクションが後で全部伏線回収されるのもすごい。楽しげな遊園地の裏で実は陰謀が…という都市伝説的な設定はやっぱりワクワクする。(ジョーダン・ピールのUsとか。)

シャミーちゃんがセクシーすぎる。ジェットコースターのシーンを小さい頃に見た子の将来が思いやられる。昔思ってたほど悪役じゃなくて、自分の立場でできることを精一杯やってためちゃめちゃ偉いキャラだなと思った。発情したドラえもんも死ぬほどかわいい。

クライマックスのカーチェイスは本当に良い。空撮風のアングル、極限状態に追い込まれるドラえもんのアクション、ハンドルを任される静香、のび太とハチの激アツなあるアイテム使いによる大逆転、そして決着後の静香のリアクションと炎上する車の遠景…等々、どこをとっても思い出すだけでうっとりしてしまう。作り手の渾身の思いが滲み出ているような、シリーズ一旦の締めくくりにふさわしいクライマックスだった。

子供向け作品としては時系列構造がかなり複雑で、昔の自分はよく理解できてたなと思った。ドラえもんの「会いたい気持ちが奇跡を起こしたんだよ」というセリフは野暮にも聞こえるけど、今思えば作品内の正確な論理がわからなかった子にも一旦飲み込める落とし所としての機能も果たしていたのかもしれない。昔の自分も完璧には理解してなくて「そっか~奇跡を起こしたのか〜」と納得していたということかもしれない。

一作品の中にアクションアドベンチャー、タイムトラベルサスペンス、終末SFなどなどの要素がそれぞれボリュームたっぷりに詰め込まれていて上映時間が84分というのに驚いた。思い出補正もあるかもしれないけどやっぱりぶっちぎりで最高傑作に思える。これでのぶドラ映画も終わりなの寂しいな。

ちなみに好きなキャラクターは昔からズブとニャーゴです。

 

まとめ

ワンニャン時空伝>翼の勇者たち>南海大冒険>ふしぎ風使い>太陽王伝説>ねじ巻き都市冒険記>宇宙漂流記>ロボット王国

の順で好きです。