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映画ドラえもんシリーズレビュー 18作目~25作目

映画ドラえもんを1作目から順に改めて観るっていうのを去年あたりからちょっとずつやっていて、今年に入ってから観たぶんはフィルマークスに感想書くようにしてたので、それをまとめただけです。第18作『のび太のねじ巻き都市冒険記』から、第25作『のび太のワンニャン時空伝』までの感想です。ちょうど藤子・F・不二雄先生没後初めての映画から、大山のぶ代ドラえもんの最終作までという時期。

1作目~17作目の感想はメモ帳に箇条書きの形で書いてあるので、ちゃんと書き直してアップするかもしれないし、しないかもしれない。

 

第18作『のび太のねじ巻き都市冒険記』(1997年)

原作は子供の頃に繰り返し読んでて、シリーズの中でもお気に入りだったと記憶している。ぬいぐるみやオモチャだけでできた町のミニチュア感が楽しい。また、エッグハウスという“キャラの誕生の場”があるのが独特で面白い。
映画版も昔1回ぐらい観ているはずだけど、改めて観るといろんな引っ掛かりポイントがあった。

まず、原作者が途中で亡くなったこともあり、かなりまとまりのない話運びだと思った。特に前半は、ドラえもん一行やねじ巻きシティーの話がどこに向かっているのかイマイチわからない。一方それらと全く関係なく登場する悪役の熊虎鬼五郎一家のほうがむしろ『のび太の大魔境』みたいな正統派の冒険譚を担当していて、こっちの話の方が推進力がある。子供の頃はなんとも思わなかったけど、変なバランスで面白い。
あと、冒頭から登場するパカポコがしばらく何の説明もなかったり、鬼五郎が野比家に侵入するのが特に理由付けされていなかったりなど、展開・要素が多いわりに説明が端折られたり流されたりする部分が多い印象。それに加え、全体的になんとなく会話や展開のテンポが早くて、原作を先に読み込んでなかったら話についてくのが難しいんじゃないかとすら思った。

原作からの変化で気になる部分も多かった。ウッキーが地球から連れてくるメンバーは原作と映画で若干違ってるんだけど、インパクトやクライマックスのバカバカしさという点で、やっぱり原作の方が良い。あとこれは漫画とアニメの媒体としての違いの話だけど、漫画だと静止画表現なのでぬいぐるみの無表情な可愛さと相性が良かったのが、アニメだとピーブやプピーが口を動かして喋るからあんまりぬいぐるみ的な可愛さじゃないな…と感じたりもした。
そしてこれもアニメ表現特有の問題なんだけど、“ホクロ”の声がオリジナルの鬼五郎と全然違う繊細そうな声なのがあまりいいと思わなかった。自分の解釈では、原作のホクロはオリジナル鬼五郎とそんなに人格の変わらない存在だと思っていたので、アニメだとラストが文字通り「完全に別人に生まれ変わった」ように見えて、“改心”の表現としてそれは良い話なのか…?と違和感を覚えた。個人的にはホクロ鬼五郎はオリジナル鬼五郎と同じ声優(内海賢二)を当てたほうが良かったんじゃないかと思う。

原作と共通の引っかかりポイントとしては、ジャイアンの土木建設事業が止めさせられる話はもう少しフォローがあってもいい気がした。環境破壊が悪いのであって開発という営み自体は悪ではない(現に作中でもメジソンは環境にいい資材を使って建築業をしてることが言われたりする)のだから、ジャイアンが仕事をやめるのが正しいこととされるような描写に違和感があった。メジソンたちと協力してジャイアンも建設事業を環境に優しい形で再開する、みたいな描写が、例えばエンドロールにでもあったらよかったのにな、とないものねだり的に思ったりもした。
(それはそれとしてジャイアンがショゲて可愛い感じになる展開は『アニマル惑星』以降の定番でもあるので、そういう見せ場があるのは良かった。ジャイアンとティラちゃんの再会シーンが、周りは茶化してる感じだけどBGMは当人たちの情緒に合わせて感動的な感じになってるのとか良いなと思った。)

一番気になったのは、「生命のねじ」によって命を与えられたぬいぐるみ達が死ぬことはあるのか、という疑問がどうしても浮かぶこと。作品の雰囲気に対してシビアな問題なのはわかるけど、「生命」という言葉を使っている以上は、間接的にでもその疑問に答えるような描写が欲しいと思った。それがないので、のび太たちが無邪気に生命を生み出していくのがちょっと無責任で危うく感じた。
しかしよく考えてみると、のび太が死んだ!?というような展開があったり、ホクロ鬼五郎が子供たちを殺したと思い込んで罪の意識を持つ描写があったりと、メインキャラに関してはシリーズの他作品に比べて死のイメージがつきまとう作品であることは確かで、「生命」に対する「死」はこういった形で表現されているということかもしれない。
それに加えて“種まく者”の登場、そしてもちろん原作者藤子・F・不二雄の死という作品外の大きな要素もあり、完璧な形ではないにしろ、この作品全体が「生命と死」という巨大なテーマに貫かれていることだけは間違いない。そういう意味で、先に挙げたような諸々の細かいところがもっと良ければ、この作品はレベルの違う大傑作と思える作品になってた可能性もあったのかも…と思う。

 

第19作『のび太の南海大冒険』(1998年)

思ったより良かった!
子供の頃観たかどうかはっきり憶えていないし、漫画版は読んだはずだけど繰り返し読んだわけでもないのでそんなに期待してなかったけど、観てみたら思いの外結構良い作品だった。

藤子Fの死後初めて一から作られた映画。この作品が出来たからこそ原作者亡き後も現在に至るまで映画シリーズが作られ続けているという意味で、とても重要な作品。
短編『南海の大冒険』『無人島の大怪物』を物語序盤のベースにし、全体としては初期作品のようなオーソドックスな冒険譚(特に『恐竜』『日本誕生』が近い)に仕立て上げていて、手堅い作りだと思った。

まず、海洋冒険モノというジャンル選びが上手い。今までにありそうでなかった(『海底鬼岩城』は海底が舞台なのでちょっと趣が違う)し、宇宙や異世界を舞台にするとどうしても“藤子F的な”センス・オブ・ワンダーが問われるため、分が悪くなってしまう。その点地球の海洋という比較的身近な場所を舞台にしているのは、これまた手堅い判断だなと思った。

内容を見ると、まず冒頭の日常の場面から、タケコプターで家から出るのび太をダイナミックな動き付きでケレン味たっぷりに見せていたり、引きのカットが多かったりして、前作までに比べてグッと映画っぽくてカッコいい見た目のシーンが多くなっている気がした。別に格段にアニメとしての出来が上がっているという訳でもないけど、明らかに本作から映画的なルックの良さが増している印象があり、ハードルが高かったであろう本作の制作陣の意気込みを感じられるようで良かった。
ちなみにOP映像も今までの微妙なCGではなく普通のセル画アニメになってて、これがなかなか格好いいんだけど、内容は本編とあまり関係ない。

序盤の見せ場である海賊同士の戦闘シーンが本作で一番好きかもしれない。その中でもドラえもんが樽爆弾ごと飛ばされて爆発する一連のシーンがタイミング含めて気持ちのいい演出で「おお、映画っぽい!」と思った。

その他、のび太とジャックが改造生物たちと初めて直面する恐ろしい場面や、のび太が繰り返し夢にうなされるところの幽体離脱的な表現など、印象的で好きな場面が(主に前半)多々あってよかった。

また、お約束展開もありつつ、今までになかった要素や展開もそれなりにあったのも良かった。
例えば、今まで動物に愛情を注いだり異星人と友情を育んだりしてきたのび太だけど、“言語の通じない人間キャラクター”と心を通い合わせる描写はこれが初めてだった。この英語と日本語のままでコミュニケーションをとるシーンは、のび太というキャラの本質的な魅力が出ていてかなり良かった。
あるいは、道具やポケットが何らかの理由で使えないという展開は今までもあったけど、それが今回は“一部の使えなさそうな道具だけ使える”という捻りがあった。こんな風に、従来作品のキャラ設定やお約束を守りつつプラス要素が加わっていて、それが概ね上手くいっている印象で好感を持った。

後半舞台が地底施設になってからは、悪役のキャッシュがあまり魅力的でないこともあり、前半に比べてダレてきた印象が正直ある。でも、ゴンザレス&パンチョのコミカルな成りすましサスペンスや、毎度お馴染みタイムパトロールのゲストキャラとの意外な関わりなど、それなりに飽きなかった。

ラストは、ゲストキャラ達とのお別れ描写自体はそこまで琴線に触れるものではなかったけど、最後にドラえもんの顔が描かれたマストがバッと広がる終わり方が良すぎたので「100点!!」って思った。
その後のED、曲は全然合ってない(特に語りが入るところがキツイ…)と思ったけど、後日談が描かれるイラストのタッチが好みだった。あの絵柄渡辺歩っぽいと思うんだけどどうなんだろう。

こんな風に、大人になってから「作者亡き後、残されたスタッフが精一杯作った勝負の一作目」という視点で観るとかなり好ましい作品で、結構感動した。
一方で、大部分がそれなりに上手くいってる無難な作りが故に、背景事情に思い入れのない子供の時に観ていたとしてもそんなに印象に残らない“普通の”作品であることも確かだと思う。
しかし、ある意味“普通の”作品になるのを理想として作られたとも言える本作は、こうした手堅さ・無難さが持ち味の作品だと思う。
それを発見できたという意味でも、今こうして改めて視聴することができて、間違いなく良かった。

 

第20作『のび太の宇宙漂流記』(1999年)

敵が敵である動機付けが結局全部アンゴルモアというキャラクターの洗脳に集約されてしまったり、そのアンゴルモアの正体についてもすごく抽象的な結論がつけられてしまったり、シリーズの他作品と比べても「悪役」「敵」という概念の扱い方が手前勝手すぎると思ったのがウ~ン…となった。敵集団には敵集団なりの歴史や思想があるというのが映画ドラえもん的な、もっと言えば藤子・F・不二雄的な作劇だと個人的には考えている。例えば似たような作品である『宇宙小戦争』の悪役描写の厚みと本作とは雲泥の差だなあとつい比べてしまった。
クライマックスの戦闘シーンも、ゲームの中の宇宙船でそのまま実際の戦闘に参加するという流れがどうしても腑に落ちなくて、真剣なバトルとして見ることが全然できなかった。それこそ宇宙小戦争のように改造する描写があったりすればいいのになあと思った。
それから、宇宙人が地球のことをいい星だと言うわりに彼らが地球へ移住するという話には全くならないのも、地球にとって虫が良すぎる話だなあとも思った。
話の壮大さに比べてドラえもん一行がどこか遊びモードに終始している感じもあり、全体的に深みに欠けすぎていたり切実さを感じるべきところで感じられなかったりする点が目立って、おおむね悪い意味で「気楽だなあ」という印象だった。

とはいえこの映画は悪いところばかりじゃなくて、例えばフレイヤの心が揺らぐ場面を宇宙船のハッチというアイテムに集約させているのは上手いなあと思ったりした。
有名な「地球に帰ったと思ったら実は…」のくだりがあるのももちろん本作の大きな魅力。これは映画ドラえもんというシリーズ特有の「のび太たちが冒険の途中で一旦家に帰りがち」という特質を逆手に取った名場面だと思う。

ゲストキャラクターのデコボコチームっぷりは藤子・F・不二雄作品の『21エモン』『モジャ公』を彷彿とさせて、もっとこのチームの描写があればよかったのにと思った。
音楽はやっぱりジョン・ウィリアムズ風を意識してるのかな。

 

第21作『のび太太陽王伝説』(2000年)

最初にレディナが捉える呪文『三つ目がとおる』と同じだ。あれが手塚治虫のオリジナルか知らないけど。

映画ドラえもんシリーズは科学的に裏付けできる(できそうな)設定が多く、ファンタジー的な世界観の場合も拡張現実的な道具の産物であることが徹底しているんだけど、そんな中本作では魔術が現実の歴史として存在していてちょっと異色。でも魔術というより催眠術とか薬による幻覚術の趣が強くて、シリーズのリアリティラインの範疇にはギリギリ収まっていたと思う。

細かい描写でキャラクターの魅力を立たせるのがうまい。ポポルがドラえもんのポケットみて「ハッ!」となってるのかわいい。無意識にあやとりしちゃうのび太かわいい。
あとギャグもうまくてちゃんと笑える。序盤はのび太とティオの入れ替わりカルチャーギャップコメディで展開自体はベタっちゃあベタだけど、ティオの傍若無人っぷりとのび太の調子に乗りっぷりが可笑しい。ティオとのび太の顔での場面転換が何度か続いたあとレディナとママの顔で入れ替わるのは笑った。
ゲストキャラクターの成長ぶりという点ではシリーズ随一。これだけ性格に難があるゲストキャラも珍しく、それゆえティオの成長物語として骨太だった。練習相手の臣下にナメられて手加減されていたことを知るくだりがグッときた。

ティオの著しい成長、ジャイアンの武術と師弟愛、シリーズの中ではとても珍しいスポーツシーンなど、全体的になんだかすごく体育会系のノリを感じた。だからかもしれないが、かなりよく出来た作品だと思いつつ自分はあまり本作にノれなかった感じもある。のび太が唐突に名言っぽいことを言うのとかはかなり鼻白んでしまった。
でも人によってはかなり好きな作品になりうると思う。そういえば小学生の頃、そんなに仲良くないクラスメイトがドラえもん映画で一番好きなのがこれだと言っていた。

 

第22作『のび太と翼の勇者達』(2001年)

ちょっとビックリするぐらいの良作だった!今まで順番に見てきた中ではもしかしたら最高傑作かも…。


東宝ロゴの画面から入る鳥の鳴き声、緑の色合いや陽炎の表現など美しい背景美術をこれでもかと見せる長回し出木杉の解説がそこはかとなく藤子・F・不二雄イズム濃厚な導入、それまでと違いちゃんと本編に即したOP映像と、開始5分でクオリティがこれまでと段違いになってる!と驚いた。『海底鬼岩城』以来の垢抜けっぷり。

のび太の恐竜』を思わせる序盤ものび太の探究心と執着の強さが嫌味なく描かれているし、何より同じ崖から落ちることでグースケとのび太が共感し合える存在であることを示していてとても良い。

バードピアに訪れてすぐのシークエンスの、次々出てくる鳥人たち(ダチョウタクシー、貴婦人、園児etc…)のキャラ立ちっぷりが見ていて本当に楽しい。ホウ博士のフクロウ型の家(耳に出入口があるのかわいい)はじめ建物の造形もいちいち最高だし、ミルクのキャラクターもめちゃめちゃ可愛いし、ずっとニコニコして見てられる。
とりわけホウ博士周りの描写が魅力的だった。グースケが歳のだいぶ離れた彼のことをごく自然に「大親友」って紹介してるの良すぎる。あと、スネ夫が石版に触れたのを注意したとき「驚かしてすまんかった」とか言ってるの細かい描写だけどめちゃめちゃいい人柄だ…って思った。だからこそ憲兵みたいなやつに石版壊されるの本当に悲しくなっちゃった。あとでタイムふろしきで戻ってよかった。

そして何しろ、中盤の見せ場であるイカロスレースのシーンがすごい。キャラクターの動きでスピードや風や空気抵抗を感じさせる渾身の作画。このシリーズで純アニメ的な動画の良さを感じたことは正直ほとんどなかったので感動した。それだけでなく、ツバクロウがグースケを見直す場面が説明的なセリフではなく表情とアクションによる演出なのもすごく良いと思った。

後半から出てくるイカロスのキャラも好き。基本的に無表情の何考えてるかわからない感じが、大型の鳥ってこういう表情してるよな〜と鳥っぽさを誰よりも感じさせる一方で、首から下のガタイの良さは人間のそれすぎて、他の鳥人キャラクターのデフォルメ加減と全く違う造形が異質だった。あと単純にめちゃめちゃデカいし正直不気味でもある。でもこの異形さが神話的で特別な存在としてふさわしく、個人的には好みのキャラデザだった。

それから後も、ドラ映画名物(?)の人類に絶望したイカレ天才科学者が久しぶりに出てきたかと思えば、クライマックスはまさかの怪獣映画までやってくれるという大サービスで、最後までテンション上がりっぱなしだった。

その他にも、スネ夫と雛鳥、静香ちゃんとピーコといったサイドストーリー的な要素が充実してたのも、作品世界の広がりみたいなものを感じさせて良かった。

作中で明かされるとあるゲストキャラ同士の意外な関係は、コミカライズ版だとさらにウェットな描写が入るんだけど、映画版だと最低限の描写にとどまっていた。前述のレースでのツバクロウの描写と同じくスマートだなと感じたけど、子供向けにしては要求されるリテラシーが高めの描き方だと思う。

ダチョウタクシーの行動がどういう理屈かサッパリわからないとか、ジャイアンスネ夫はどんな気持ちで警備隊にちゃっかり入ってるんだよとか、最終対決の決着の雑さとか、ツッコミどころも多々あるけど、なんかそういう部分がないと可愛げがなさすぎるくらいに良く出来た作品なので、それすらも魅力に感じてしまったと言ったら大げさだろうか。それくらい好きな作品だった。

これがキッカケで生物学や機械工学や鳥人間コンテストに興味持ってその道に進んだ子どももいるだろうし、ドラ映画の中でももっと評価されていい代表作の一つだと思う。


映画の感想としては蛇足だけど、個人的にTHE HIGH-LOWSの名曲「バームクーヘン」(1999年)の歌詞を強く連想したので、本作が好きな人にはぜひ聴いてほしいです。

 

第23作『のび太とロボット王国(キングダム)』(2002年)

ドラえもん達が冒険に出るまでのくだりだけで、意味や面白さのわかりかねる展開や描写が10コぐらい積み重なり、開始十数分でこの映画大丈夫か!?となった。
その後も、飲み込みづらい設定や共感しづらい描写が続く。総じて「とってつけたような」という言葉がぴったりくるような引っかかりポイントが多いのが特徴。ピンチをわざわざ引き起こすために違和感のある行動をとるキャラクターたちについていけなかった。

前作『翼の勇者たち』が個人的にめちゃくちゃ良かっただけに、ここまで差が出るのかという驚きもあった。監督や脚本家が代わったわけでもないのに、シリーズ映画って不思議だなと思う。
興味深いのが、「スネ夫が触れると危ないものに触ってしまい、博士に注意される」という場面は『翼の勇者たち』にもあったのだけど、このよく似た場面一つとっても本作の話運びの不自然さ、キャラへの思い入れられなさが比較できるということ。スネ夫ってこんな場面が恒例になるほどオッチョコチョイなキャラだっけ?

ゲストのタレント声優も難しい役やらされてて全然合ってなかったし、藤子Fの他作品キャラが出てくるみたいなファンサービスも別にいらないし、ギャグも表面的で面白くないし、なんかいろいろ上手くいっていない。

一番問題だと思うのは、スネ夫が持ってるロボットの件がほったらかしにされるのはどう考えてもテーマ的におかしいし、単純に後味が悪い。
ロボットと人間の共存、という今のところ現実に存在しない問題について語るなら、それと地続きになるような普遍的テーマと結びつけて語るべきだと思う。だとすれば「物に愛着を持つ」「他者の自由意志を尊重する」っていうテーマで話を広げられたんじゃないかと思うけど、何故か「ママに会いたくなった」という結論に繋がってしまい、もっと本作で大切にされるべきであろうテーマが全く浮かび上がらないままエンディングを迎えてしまった。まあドラえもんが玉子に「うちの子」って呼ばれるのは単純に嬉しくなる描写だけど…。

主題歌は結構好き。

 

第24作『のび太とふしぎ風使い』(2003年)

本作はなんといっても、フー子の可愛さが尋常じゃない。特に下半身の質感がすごい。お腹が上下する描写とか動きとしてもフェチズムに溢れていてとても良い。
ストーリー上の描写としても、のび太とフー子が二人きりで行動するシークエンスが長めに取られていて、二人の関係性に思い入れを持って見ることができる。
のび太が最後にフー子に「がんばれ!」と叫ぶに至る心情の変化を、明確に言葉で説明してしまわなかったのが良かった。子供の視聴者の中にはなぜフー子を応援するに至ったのか理解ができない子もいるだろうし、なんなら自分もはっきりとした答えは出しきれないけど、作品内で説明して明白な答えを提示するのではなく、観た人それぞれに考える余地を残して自分の頭を使う鑑賞体験をさせるのが、子供向けアニメとしても真っ当な作りだと思った。

風がテーマの作品だけあって、全編通して動きがハイクオリティだった。後述する製作体制の変化もあって「技術を見せつけてやる!」という気概を感じる。物語内での必然性はないけれど登場するひみつ道具がほぼ全部風や気流にまつわるものなのも、今回の目玉があくまで風描写ということの徹底になっていて良かった。
風の描写以外にも、どこでもドアが傾いていることで非日常への入口を不穏に示す表現主義的な演出から、のび太が電話するときに受話器のコードをいじるような日常芝居の細やかさまで、アニメ表現として良い部分がたくさんあった。

フー子以外のゲストキャラの描写が薄すぎるのが難点。テムジンがのび太と一緒になって戦うのが唐突に感じた。フー子を巡った風の国の民とのやりとりが見たかった。
『日本誕生』や『南海大冒険』といった作品から設定やストーリー運びの使い回しが多いのも気になる。
あと、せっかくヤカンで火にかけられる描写があるのに熱を食べて成長する設定の伏線になってなかったのが不思議だった。

しかし、本作はフー子の魅力&風の表現という明確な二大目標があり、それが高いレベルで達成されているので、他の要素がイマイチでもかなり満足度の高い作品になっていた。それに加えて個人的にはジャイアンスネ夫周りの描写も面白かった。

ジャイアンは今回驚くべき単独行動に出る。『アニマル惑星』や『ブリキの迷宮』などスネ夫と二人で行動するときは弱みを見せがちなジャイアンが、スネ夫を取り戻すためにシリーズ屈指のトリッキーな蛮勇に出るのはこのコンビの強い友情を感じる。敵がアホすぎるのでそんなにピンチにならないけど…。

そして今回のスネ夫はひとつも良いところがなくて笑う。乗っ取られる前から欲望むき出しで、正気に戻ったあとも傲慢さが残っているのが面白い。レギュラーメンバーの中でこんな役回りできるのは普段から株の低いスネ夫ぐらいだ。


本作から作画監督が渡辺歩になったりセル画からデジタルになったりして、画風も動画の動かし方も今までとは別物のように変わっている。キャラが止まっている場面がほとんどなくひっきりなしに動いているという特徴があり、それに伴って台詞回しや演技も変わってる気がする。
これの次作『ワンニャン時空伝』を子供の頃に繰り返し観た自分としてはこのタッチは慣れ親しんだドラ映画という感じだったけど、この2作品を最後にリニューアル(声優・ スタッフ総入れ替え、いわゆる「のぶドラ」から「わさドラ」に交代)となるので、シリーズの歴史の中ではこの2作のみが特異な作風になっている。このタッチでリニューアル前にあと3作くらい見てみたかった気もする。

 

第25作『のび太のワンニャン時空伝』(2004年)

2005年のテレビ放送(旧声優陣のお別れコメント付き)を録画したVHSを子供の頃に何度も観た。もしかしたら人生で一番観賞回数が多い映画かもしれない。
そのため良し悪しの冷静な判断は全くできないが、今見ると子供の頃には気づけなかった豊かなディティールに気づくことができた。

ハチの時代に来てすぐのジッと神殿を見つめるのび太のび太たちが一時的に野良犬や野良猫を預かる場所とハチの仲間たちが身を寄せるアジトがどちらも線路の下になっているという相似など、言葉の説明ではないスマートな伝え方のセンスが大人になっても鑑賞に耐えうる作品だった。

おばあちゃんの描写も単に原作ファン向けのお涙頂戴のための登場ではなく、おばあちゃんからのび太、そしてイチへ受け継がれる愛情のバトンをけん玉というアイテムひとつでスマートに表現するセンスがこれまた良い。もっと言えば、「もしもしかめよ」の歌詞が膨大な時間をかけてゆっくりと約束を果たした二人のことを歌っているようにも聞こえて非常に上手い。

遊園地で遊ぶシーンは楽しいだけじゃなくて、それぞれが楽しむアトラクションが後で全部伏線回収されるのもすごい。楽しげな遊園地の裏で実は陰謀が…という都市伝説的な設定はやっぱりワクワクする。(ジョーダン・ピールのUsとか。)

シャミーちゃんがセクシーすぎる。ジェットコースターのシーンを小さい頃に見た子の将来が思いやられる。昔思ってたほど悪役じゃなくて、自分の立場でできることを精一杯やってためちゃめちゃ偉いキャラだなと思った。発情したドラえもんも死ぬほどかわいい。

クライマックスのカーチェイスは本当に良い。空撮風のアングル、極限状態に追い込まれるドラえもんのアクション、ハンドルを任される静香、のび太とハチの激アツなあるアイテム使いによる大逆転、そして決着後の静香のリアクションと炎上する車の遠景…等々、どこをとっても思い出すだけでうっとりしてしまう。作り手の渾身の思いが滲み出ているような、シリーズ一旦の締めくくりにふさわしいクライマックスだった。

子供向け作品としては時系列構造がかなり複雑で、昔の自分はよく理解できてたなと思った。ドラえもんの「会いたい気持ちが奇跡を起こしたんだよ」というセリフは野暮にも聞こえるけど、今思えば作品内の正確な論理がわからなかった子にも一旦飲み込める落とし所としての機能も果たしていたのかもしれない。昔の自分も完璧には理解してなくて「そっか~奇跡を起こしたのか〜」と納得していたということかもしれない。

一作品の中にアクションアドベンチャー、タイムトラベルサスペンス、終末SFなどなどの要素がそれぞれボリュームたっぷりに詰め込まれていて上映時間が84分というのに驚いた。思い出補正もあるかもしれないけどやっぱりぶっちぎりで最高傑作に思える。これでのぶドラ映画も終わりなの寂しいな。

ちなみに好きなキャラクターは昔からズブとニャーゴです。

 

まとめ

ワンニャン時空伝>翼の勇者たち>南海大冒険>ふしぎ風使い>太陽王伝説>ねじ巻き都市冒険記>宇宙漂流記>ロボット王国

の順で好きです。

2022年映画ベスト10


 昨年僕が映画館で観た新作映画は、全部で49本だった。配信で観た新作映画や、映画館で観たものでも旧作のリバイバル/リマスター上映は除外している。今までの僕の人生では圧倒的に大量に観た1年だった。それでもまだまだ見逃した映画もたくさんあるし、もっと観たかったと思うのが映画という趣味の恐ろしいところだ。

 そんな49本の中で、自分の年間ベスト映画1位~10位は以下の通りだ。

1位:夜を走る
2位:宇宙人の画家
3位:TITANE/チタン
4位:NITRAM/二トラム
5位:こちらあみ子
6位:RRR
7位:オフィサー・アンド・スパイ
8位:アザー・ミュージック
9位:女神の継承
10位:ある男

 10位から順に詳細を書いていきたい。文中敬称略。

 

10位『ある男』(石川慶監督/日本)

movies.shochiku.co.jp

 石川慶監督は、日本映画の監督の中で今いちばん端正な映画を撮る人だと思う。『愚行録』『蜜蜂と遠雷』は鑑賞済みで、本作鑑賞後に『Arc』も観たが、3作ともダサいと感じるところが一カ所もなく、ストーリーの好みの差はあるけれど、どれも見た目から語り口からとカッコいい映画だと思った。前3作の中ではダークな作風で嫌な人間ばっかり出てくる『愚行録』がいちばん好みだったのだが、本作『ある男』はそれに近いタイプの作品だったのも嬉しかった。

 自分的にこの作品の大きな魅力として、ミステリーなのにちゃんと楽しめたというところがある。僕はミステリー映画が苦手で、その理由は単純に言うと難しいからだ。といっても難しい映画がすなわち苦手というわけでもなくて、例えばいわゆるアート系の映画における難解さは、受け取り方に幅が持たされているぶん「よくわからないけど面白い」となれるので好きだ。でもミステリー映画は娯楽作品なので、作品内で確実に伝えようとしていることは全て理解して整理しておかないと楽しめないつくりになっているということがあり、理解力に不安がある僕としては苦手意識のあるジャンルなのだ。しかし『ある男』は、ミステリー映画でしかもまあまあ複雑な真相がある話なのだが、とても飲み込みやすくてストレスなく楽しめたのが嬉しかった。飲み込みやすさの理由は多分いくつかあって、まずオールスターキャスト映画であるということが挙げられる。顔と名前が一致する俳優、しかも日本のよく知っている俳優ばかり出てきたので、登場人物の区別を間違えることがないのはもちろん、キャラクターひとりひとりが印象に残って見やすかった。(すごい良く出来た映画なのに、ずいぶんレベルの低い見方のことばかり書いていて申し訳ない……。)そして何と言っても語り口がスマートで、人物の入れ替わりを説明するのにワインのボトル(ちゃんと序盤でわかりやすく伏線を張っている)を使うなど、わかりやすい上にかっこよくて良いなあと思った。あと、誰がどう入れ替わったかという作品内の事実を探る謎解きよりも、「人はどういう時に誰かと入れ替わりたいと思うのか」という普遍的な問いの方により思考を促すつくりだったのも、飲み込みやすかったし個人的に好みのテイストだった。ちなみに僕は原作未読で、原作ファンの中には「原作を読んでない人にはわかりづらくて楽しめない映画なんじゃないか?」という懸念の声もあったようだけど、少なくとも僕は上記の通り問題なく楽しめた。

 社会的な問題提起や、人の幸せとは何かを問う人生論といった要素もかなり大きい作品で、そういった点に心を動かされてこの作品を評価する人も多いと思うけど、僕としては何よりも単純に「面白くてカッコいい映画だった!」という感動が大きかった。そしてただ単にいい話で着地するのではなく、ビターな余韻を残すあのラストシーンで終わってくれたのも、僕にとっては親近感を覚える着地でとても好ましいと思った。

filmarks.com

 フィルマークスの方には主に俳優についての感想を中心に書いた。柄本明本当に良かったなあ。

 

9位『女神の継承』(バンジョン・ピサンタナクーン監督/タイ、韓国)

synca.jp

 好きな映画のジャンルは何かと訊かれたら、しいて言えばホラー映画だろうか。ホラーは単純に「怖いか/怖くないか」という評価基準がはっきりあるので面白さがわかりやすい。また、恐怖や不快感といった、日常生活では感じないに越したことはない感覚が、ホラー映画を観るときに限っては最上の体験になるという逆転現象も愉快に感じる。

 一方で、僕は極度に恐がりなので、ホラー映画は同時になるべくなら避けたいジャンルでもある。特に本作『女神の継承』のような、エクストリームな描写かつジワジワと追い詰められるような重い空気感の映画は一番苦手だ。去年劇場で観た『ダーク・アンド・ウィケッド』もそんな感じの映画で、恐怖で死ぬんじゃないかと本気で思ったし、耳を思いっきり塞ぎながら観るので精いっぱいだった。『ヘレディタリー/継承』も大好きな映画だけど、たぶん劇場で観てたら途中退席するか気絶してたと思う。でも、そんな怖い思いをした映画は劇場を出た後「生きて出られてよかった!」と心から思えるし、鑑賞後の達成感がほかの映画の比じゃないので、やっぱり好きなのだ。

 本作はホラー作品としての圧倒的な怖さに加えて、ストーリー面でもグッとくるものがあった。特に世襲制度の逃れられなさ、あるいは逃れてしまうことへの気まずさといったテーマが、”女神の継承”というモチーフを使ってずっと語られていたのがよかった。『ヘレディタリー/継承』でも血縁や家族からの逃れられなさというテーマがイヤ~な感じで描かれていたけど、こちらは”家業” ”コミュニティ”ということが描かれていて、より現実的・即物的に追い詰められる感じがあって別種の怖さがあった。また、自分が一生をかけて頑張ってきたことが本当は何も意味がなかったんじゃないか…?という恐怖も、普遍的で胸を打つものがあった。

 そして本作はPOV・モキュメンタリー形式ならではの楽しさもあった。密着映像という面でのリアリティラインの整合性には違和感を覚えなくもなかったが、撮影クルーが本当にろくでもないことしかしないやつらなので、ろくでもないことしか起こらないだろうなと信頼できてずっと面白く観れた。あと、観客に「そんなの映しちゃいけないんじゃないの…?」と思わせる取材の仕方で一旦倫理観に疑問を持たせた後、そんなの映しちゃいけないような長回しが延々と続き、観客もそれに慣れてしまい気まずさが薄まってきたところで急にショッキングな描写が来て「うわあ、やっぱりすいませんでした!」と罪悪感を突きつけてくる、というような、観る側の加害性を利用した恐怖演出がとても意地悪で、POVという形式の利用の仕方が面白いなと思った。

 主演のヤダー・ナルリヤさんがめちゃめちゃな美人なのが、ひたすら陰惨な本作をかろうじて華のあるものにしていたと思う。観てる間怖すぎて「帰ったらこの人達の楽しそうなオフショット画像とかネットで探すぞ!」と思っていたのだが、SPICEのインタビュー記事が画像含めてその需要にうってつけのものだった。本作がトラウマになった人にはぜひオススメ。

spice.eplus.jp

 

8位『アザー・ミュージック』(プロマ・バスー、ロブ・ハッチ=ミラー監督/アメリカ)

gfs.schoolbus.jp

 閉店するレコード屋を追ったドキュメンタリー。今年フィルマークスで書いた感想の中で一番長文になった。この文章は自分でも気に入っている。

 町にあるレコード屋や古本屋、ライブハウス、そしてミニシアターといった小さな店が僕は好きでよく行くので、そういった実在の店に思いを馳せながら観ているととても切なくなった。あるいは、この「アザー・ミュージック」という店はニューヨークにあったのだけれど、観ているうちに、まるで先に挙げたような店と同じく自分の町にあった店のような気がしてきた。

 文化と場所との関係は絶たれたように見えて久しいけれど、ここにしかない、ここでしか生まれない、ここでしか生きられない、といった文化にとっての場所はまだまだあって、それが消えていってるという事実があるのだろう。これは「文化」を「人」に置き換えても意味の通ることで、ここでしか生きられない人々は、そこが無くなったらどこへ行けばいいんだろう、という心許なさを感じるけれども、一方でそれだけ優れた文化との蜜月を築けた人なら、どこへ行っても怯えることはないだろう、うまくやっていける、という楽観的なことも考えている。

 Corneliusファンとしては彼がインタビュー映像で登場したのと「The Micro Disneycal Word Tour」が劇伴として使われたので嬉しかった。

 

7位『オフィサー・アンド・スパイ』(ロマン・ポランスキー監督/フランス、イタリア)

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 ドレフュス事件を元にしたポランスキーの新作。これも『ある男』と同じく、カッコよくて上手い映画だなあと感動した。冒頭の軍籍剥奪のシーンで人がズラッと並んでる絵面から壮観で、主要人物も印象的な”イイ顔”の俳優ぞろいで観てて飽きなかった。地味と言えば地味な話だし、正直言って細かい内容はあまり覚えていないんだけど、退屈したところや難しくてストレスを感じるようなところが一カ所もない美しい映画で、とても崇高な映画体験をした気分になった。

 このお話で一番好きなところは、主人公のピカールが決して今日的な視点での”善人”ではないところだ。むしろ彼はユダヤ人に対して差別意識を持っているところもちゃんと描かれていて、それが最後まで特に覆ることはないのが驚いた。彼の持っている美点を「権力に疑念を持ち、真実を追究する姿勢」という一点に絞ることで、観客が安易に彼を超越的なヒーローとして見たり、描かれている時代を現代との比較対象と捉えたりしないようになっていて、とても誠実な描き方だと思った。彼は我々の視点から見ると差別的、反倫理的だったりするところもあるけど、そういったところを超えて彼の美点に敬意や共感を覚えること、これこそが歴史上の人物に対する思いの寄せ方として(フィクションとして映画と史実の違いは多少あるだろうけど)真っ当なものだと自分は思う。歴史上のヒーローとされるような人に無理矢理現代的な感覚の美点を見出して加点方式のように人物を評価するのは、むしろ歪んでいて危険な歴史の見方だと思うからだ。時代や環境や今日では絶対となっている倫理観といったことを超越して人を好きになれるのが、映画のいいところだと思う。(し、現実の存命人物もそういう好きになり方することもあるのだ。)

 

6位『RRR』(S.S.ラージャマウリ監督/インド)

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 みんな大好きRRR。「最近観た映画でなにが面白かった?」と質問されたら、誰に対しても迷わず挙げているのがこれ。「歌って踊るインド映画」という前提情報から来る偏見交じりの先入観を、圧倒的なクオリティで裏切ってくれて「ナメてました!すみません!」という思いにさせてくれる上、やはりそのようなインド映画独特の異様なエネルギッシュさにやられてしまいもする。差別主義の国家権力に2人の男が立ち向かう!という点ではさっきの『オフィサー・アンド・スパイ』と共通してるけど、言うまでもなくトーンは180度違う。

 直前に、監督の前作にしてこちらも大ヒットした『バーフバリ』二部作も配信で見た(アマゾンプライムに1作目の吹替版、Netflixに2作目の字幕版しかなくて、ヘンな配信形態だなと思った)。起こっていることの異常さという意味では『バーフバリ』のほうが凄まじくてなるほどこれはカルト的にヒットするだろうなと思ったが、自分には王権争奪のシビアな話と過激な世界観にあまり乗れないというところもあった。それに比べると『RRR』はより現代に近い時代設定と現代的なテーマのおかげですんなり世界観になじめたし、何より主役二人の人物描写と関係性描写に重きを置いているため、物語への感情移入が完全な状態でのめり込めた。

 人物やそこで語られている価値観への思い入れが強ければ強いほど、凄まじい熱量のアクションやスペクタクル、そしてミュージカル描写も完全にのめり込むことが出来る。ドラマとアクションがどちらも素晴らしいのでそれぞれの魅力が2倍にも3倍にもなっていて、完璧に面白い映画ってこういうことだなと思った。とにかく万人にオススメ。上映時間が長いのがネックだけど、なんか最近3時間くらいの映画結構多いし、そういう長尺映画の中でも一番安心して楽しめるやつだと思う。

 

5位『こちらあみ子』(森井勇佑監督/日本)

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 今村夏子の原作を事前に読んでいて、「これはすごいぞ、最近映画やってたらしいけど観たかったな…」と思っていたところ、幸運にも再上映を観ることができた。

 最近自分がよく読む小説(特に、芥川賞受賞歴のある女性作家の作品が多い)の傾向として、女性や少女の一人称視点でこの世の生きづらさとその中に確かに生きている自分というものを描く作品群があるのだけど、小説『こちらあみ子』はその最たるものの一つだと思う。

 極度に個性的でおそらくある種のハンディを持っているあみ子の行動がもたらすものは、微笑ましいものもあるけれど、いくつかはシャレにならないほど決定的な断絶を生んでしまい、しかしあみ子自身はその深刻さに気づけないまま、本人にとって心許ない状況に置かれてしまう…というお話。語り様によってはいくらでも重くなるし、社会問題を直接的に訴えかけるタイプの作品にもなりうると思うけど、小説も映画もそうはしていない。あみ子自身の世界の見方を一人称視点で描くことで、彼女という存在の純真さ、美しさを際立たせ、読者や観客に心の底から彼女を肯定しようと思わせてくれる。まさにフィクションならではの力によってあみ子(や、現実にいる彼女のような人)を救ってくれているのが、この物語の好きなところだ。

 そしてそのお話に加わった映画オリジナルの魅力として最たるものはもちろん、あみ子を演じた大沢一菜の圧倒的なパワーだ。映画のパンフレットでは撮影時の大沢さんがまんま”あみ子”なエピソードがたくさん読めて微笑ましいが、彼女が勝手に側転を始めたところが撮影されて本編の一部として使われているなど、作劇面でも大沢一菜=あみ子の一体性が良い影響をもたらしていることがわかった。尾野真千子がインタビューで、監督が撮影後に”あみ子ロス”になりすぎてることを心配してるのも可笑しかった。

 

4位『NITRAM/ニトラム』(ジャスティン・カーゼル監督/オーストラリア)

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 実際の凶悪事件に題材をとった映画は、不謹慎を承知でいうがどうしても惹かれてしまう。銃乱射による大量殺人事件がモデルということで観る前には『エレファント』を連想していたが、無差別殺人そのものより犯人のバックボーン、特に家庭不和の問題を丹念に描いているという点でむしろ『葛城事件』に近かった。おそらく発達障害があるであろう子供に対応しきれない家族の崩壊という意味では上の『こちらあみ子』も近いかもしれない。

 主人公マーティン君の辿る道がとても切ない。彼に訪れた人生最良の時間は、大金持ちの孤独な中年女性ヘレンとの日々だ。プラトニックな恋人であり、母親代わりであり、親友であるような彼女との関係は、確かに多少いびつだ。だけどそれでも、心から好きだと思い合える相手との出会いと、その関係が保証される環境に恵まれるというのは、普通の人にとってもそれさえあれば人生は他に何も要らない究極の幸福だと思う。ましてやずっと孤独だったマーティンにはなおさら得がたい僥倖だ。さらに、ヘレンは彼の悪癖である悪ふざけに対して眉をひそめない、ほかの人とは全く違うレベルの理解者だったのだ。しかし、こうした幸福それ自体が、彼に破滅をもたらし、幸福を奪い去ってしまうのである。こんな皮肉な話があるだろうか。

 上に書いたようなヘレン周りの話だけでも映画の軸として骨太なのだが、この映画を構成するのはそれだけではない。先に書いたような家族の崩壊ドラマという軸、マッチョなイケてる男性への憧れと挫折という軸、精神疾患や明らかに異常な状態の人への周囲の無関心(旅行代理店の人や銃器専門店の人の淡泊さが印象的だ)という軸など、様々な太い軸が絡み合って一本の大樹のように映画を成立させているため、「彼はなぜ無差別殺人に至ったのか?」という問いに簡単な一つの答えを用意してはくれない。もちろん銃規制の不十分さという社会的なレベルの問題は直接的に提起されているけれど、やはりドラマとして見たときにマーティンを取り巻く問題は複雑で多様だ。

 主人公マーティン(MARTIN)を逆さ読みした蔑称『NITRAM/ニトラム』をタイトルに掲げているように、実在事件の犯人について突き放した視点でもありつつ、同時にやはり観客はマーティンのどこかに自分自身を見出さずにはいられないつくりにもなっている。孤独であり、不器用であり、パンフレットの町田康の解説(名文だった)を引用するなら”鈍くさい奴”である人にとっては、悲しい映画だけど、同時にこの作品の存在自体が希望でもあるのだ。

 

3位『TITANE/チタン』(ジュリア・デュクルノー監督/フランス)

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 この作品を人に説明しようとすると、ネタバレ要素込みで説明しても「お前は何を言ってるんだ?」というような全く意味の分からない内容になるが、自分でも観ていて「僕は何を見せられているんだ?」となったのだからしょうがない。パルムドール、前回がポン・ジュノで前々回が是枝裕和だったからライトな映画好きとしてもなんとなく身近に感じていたけど、やっぱりただごとではない賞だなと思わされた。

 いろいろな要素・ジャンルを孕んだ映画なんだけど、とりあえず自分は対物性愛モノってジャンルの映画をもっと観てみたいと思った。無機的な物に性的に惹かれてしまうっていう”生物としてのバグ”感がなんだかかえって人間的でなおかつ禍々しくて、魅力的な主人公だなあと思ったのだ。

 女性主人公が男性中心の社会に対してノーを突きつけ行動する、という映画が昨今多くなっていて、本作もその中の一つとして位置づけられなくもない。でもこの主人公は、個人や社会に対する叛逆にとどまらず、性や生命それ自体が持つ否応なく大きな力そのもににまで叛逆しているように見えて、それが自分にはすごくカッコよく見えた。人を殺すのも自分を傷つけるのも自身の女性的特徴を(文字通り)抑えつけるのも、物語としては別の意味合いもあるけど、そういった生物として当然とされていることへの大きな叛逆に見えて、痛々しくもどこか清々しいと思ってしまった。映画のトーンもジャンルも、そして主人公の出で立ちも目まぐるしく移り変わっていく混沌とした映画だけど、その中で主人公のギラついた魂が常に中心にあるような気持ちよさがあった。

 観終わった後なんかヤバい映画観ちゃった…と興奮してとても良い気分になった(ベスト3作品はどれもそうなのだが)し、このとんでもない映画が多くの人に好かれていて、しかも世界最高の栄誉を与えられていることに、繰り返しの表現になるが、やはり希望を感じたのだった。

 

2位『宇宙人の画家』(保谷聖耀監督/日本)

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 なぜこの映画をこんな上位にしてしまったのか、正直上手く説明できない。観賞後の気持ちは感動したと言うより”呆れた”に近かった。

 あまりにも今まで経験したことのない感覚の映画だったが、もしかしたらインディペンデント映画やアート系映画を頻繁に観る人にとってはそこまで前人未踏の映画ではないのかもしれない、映画の素養がまだあまり無い自分が偶然出会ってしまったこの映画を買いかぶりすぎているのかもしれないとも思う。それでも、これを観たあとの「本当に頭がおかしい…」という感覚は、自分の映画体験史の中でずっと重要な物であることは確かだ。

 あえてこの映画に近い具体的なイメージを挙げるとしたら、「本当にどうにかしてるときの手塚治虫作品」が一番近い。と思っていたら、パンフレットの「監督の漫画ベスト10」に手塚治虫作品ばっかり入っていて合点がいった。特に『三つ目がとおる』はかなり近いと思う。

 この映画に対して何を書いてもしょうがない気がする。とにかく出会えてよかった。

 

1位『夜を走る』(佐向大監督/日本)

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 エモーションとサプライズ、両方の面で自分のウィークポイントど真ん中を突いてくれて、迷いなく年間1位の映画。 

 やはり自分は邦画ノワール、特に鬱屈した地方都市を舞台にくすぶった人物が起こす犯罪物語というタイプの映画が好物なのだと思った。最低限の欲求が満たされるだけの町で毎日同じことを繰り返すというささやかな絶望、ここではないどこかを希求しながら何処へも行けない切なさ、といったことを根底に、些細なきっかけからダークな領域に足を踏み入れてしまう。そこで不謹慎なワクワク感、常識や倫理から外れる解放感というのも(登場人物にとっても観客にとっても)発生するけれど、最後まで終わったときには空しさだけが残る…といった種類の映画だ。ピッタリ当てはまる映画はそんなに思い浮かばないけど、ちょうどこの前観た『ローリング』がまさにそのまんまで、傑作だった。あと映画じゃないけど山本直樹の漫画はそういうのが多い気がする。そういえば今年は山本直樹作品が2本も映画化されたけど、『夕方のおともだち』の菜葉菜、『ビリーバーズ』の宇野祥平といったメインキャストが本作と共通していることもあり、何となく両作とのリンクを感じた。

 『夜を走る』の話に戻ると、リサイクル工場に勤務する若者以上中年未満といった感じの主人公2人が絶妙な設定で魅力的だった。設定だけならなんとも侘しいムードの映画になりそう(そういうのも嫌いじゃないが)だけど、話は思わぬ方向に転がり続け、サスペンスとしての緊迫度が上がるほどに、二人の侘しさもより切実なものとして映し出されてゆくのが良かった。色んなことが起こるのだけれど、最終的には元いた場所から途方もなく離れてしまったような、実はグルッと大回りして戻ってきてしまったような、そんな場所に連れてこられる。

 そんな「グルッと大回りして戻ってくる」全体の構造を示すものとして、最初と終盤に同じ洗車場という場所が象徴的に出てくるほか、「リサイクル」工場という舞台設定など、あらゆる所にグルッと回るモチーフが出てきて巧みだ。そんな「グルッと回る」描写の中で一番強烈だったのが、ある死体の扱いだ。話が進むごとにどんどんあからさまにマクガフィン化していき、人間だった尊厳も生物としての有機性も無残なまでに無視されていき文字通りポンと放り出されるに至るその描写は、映画のあらゆる死体描写の中でいちばん怖いと思った。この描写を粗悪な御都合主義と受け取る人もいたようだけど、僕はむしろ、傷めつけたりバラバラにするよりさらに残酷な死体の扱い方として物語の根底にある怖さを際立てていて、戦慄を覚えるばかりだった。パンフレットに寄せられた古谷田奈月のコラムではまさにこの死体をテーマに一本書かれており、読み応えたっぷりのパンフの中でもとりわけ印象に残った。「橋本のこと、どうしよう?」というタイトルだけでゾワッと鳥肌が立つ。

 上記のような憂鬱感や恐怖の要素がこの映画のエモーション的な魅力だとするなら、普通のノワールやサスペンス映画を何段階かで軽く飛び越えてしまう、サプライズ的な魅力もある。でもその衝撃は言葉で説明してもしょうがない気がするので、本編をぜひ観てほしい。しいて言うなら、自分が本作を観るきっかけになった予告編がすごく良いので、これを見て「なんかこの映画ヘンだぞ!?」と感じ取った人は絶対に映画を観てほしい。


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まとめ

 以上、言うまでもなくあくまで僕の好み・気分のベスト10でした。10作品とも同じくらい好きなんだけど、あえて順位をつけるとなると観たあとの衝撃度が大きなファクターになった。観たあと「ああ面白い映画だったなあ…」と腑に落ちる映画より、「なんだこの映画!?面白いけど…なにこれ??」と困惑するような作品のほうが、自分にとってはより好ましいものなんだと思う。

 今年もいっぱい面白い映画や変な映画を観られたらいいな。

2022年10月 よく聴いた曲

BOaT「ネガティブコンディション」

BOaTの後期作品がサブスク解禁され、ツイッターのTLでにわかにBOaTの話題が活発になった事でこのバンドにまんまとハマってしまった。初期のかわいくてキャッチーな作風からラストアルバム『RORO』の壮大で実験的な作風までの変遷が、わずかアルバム4枚の間に見てとれる面白いバンドだった。出している音がことごとく自分好みで、特にギターの音は轟音で聴くとすごく気持ちいい。女2男1のトリプルボーカルが曲によって入れ替わるのも楽しい。

中でも特に気に入ったのが1stアルバム『フルーツ☆リー』(ふざけたタイトルだなあ)で、9月末から10月頭にかけては誇張抜きで毎日聴いていた。1枚のアルバムにここまで執着して聴くことは自分としても珍しかったが、とにかくどんな時でも何回でも聴きたくなる作品だった。

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アルバムちょうど真ん中のこの曲は、ボーカル3人(もしくはメンバー5人全員?)の合唱+アコギ+手拍子という、これ以上無いほどシンプルな編成で、ある種インタールード的な短い楽曲だが、実はこの曲が一番好きな曲の一つかもしれない。まずこのシンプルな編成でさえも、複数人の声とギターと手拍子と雑音がすべて耳に心地よく、それでいてまとまった音楽として各パートが有機的に相乗効果を生んでいるところがスゴいと思う。「いつかモノクロームの夜が明けるように/はるかキミの歩く空が晴れるように」という歌詞も優しくて元気な気持ちになれた。「ネガティブコンディション」というタイトルもキャッチーで好感を持った。

 

BOaT「Thank You & Good-Bye」

やはりBOaTの『フルーツ☆リー』からもう1曲。

実はBOaT及びフロントマンのAxSxE氏のことは、自分がもともと好きなモノのいくつかと関わりがあって、既に名前くらいは聞いたことがあった。例えば、神聖かまってちゃんのアルバム『つまんね』『8月32日へ』や後藤まりこのソロ作品にAxSxEがエンジニアやギタリストや作曲家として参加していたこと。あるいは、挫・人間の楽曲に「明日、俺はAxSxEになる……」というタイトルの、氏へのリスペクトに溢れた曲がある。この曲では全編に渡ってAxSxEへのオマージュに溢れている(「暴徒(=BOaT)化しちゃって」というフレーズもある)だけでなく、彼自身もギターソロで参加している幸福なコラボレーション曲なのだが、この歌詞の中に「ネガティブハッピーです」という歌詞がある。これは挫・人間がこれまたリスペクトしている滝本竜彦氏の小説『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』から取られていることは分かったのだが、なぜAxSxEと関係の無いと思われる『ネガチェン』の引用を?と不思議に思っていたところだった。その疑問が解決したのが件のサブスク解禁でBOaTが話題になった際の滝本竜彦氏本人のツイートで、曰く”ネガティブハッピー”というタイトルは氏がこの曲「Thank You & Good-Bye」を聴いたときの空耳から来ているとのことだった。

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確かに「May God give you happiness」という部分が「ネガティブハッピーです」に聞こえる(しかも同じアルバムに「ネガティブコンディション」という曲があるから、そういう空耳も無理はない)。そういった縁もあって、『ネガチェン』がラジオドラマ化された際はこの曲や同アルバム収録の「夕日」がテーマソングとして使われたらしい。「明日、俺はAxSxEになる……」での例のフレーズも、恐らくこのエピソードを踏まえての引用なのだろう。思わぬ元ネタがわかって驚いたのに加え、挫・人間、滝本竜彦BOaTという僕が好きなもの同士のつながりの系譜も発見できて嬉しかった。こういう風に別ルートから好きになった人や作品に関連があるのを知ると喜びを感じる。

この曲自体の歌詞も素敵で、「電車の窓の景色のように 2人の季節(とき)は流れたけれど/風はいつか止むはずだから 君にシアワセ願ってる」という、素朴で優しくて気分が安らかになるフレーズが好きだ。3拍子のリズムも相まって、「ネガティブコンディション」とは対照的に、聴くと切ない気分になる楽曲だ。バンドの解散ライブでこの曲が明らかにラストソングとして演奏され始めたとき「やるなー!」とヤジが飛んだというエピソードも見かけて、良いなあ~と思った。

 

The ピーズ「好きなコはできた」

映画『マイ・ブロークン・マリコ』のEDに「生きのばし」が使用されたこともあり、改めてピーズのいろんな曲を聴いたが、今一番刺さったのがこの曲だった。

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改めて指摘するまでもないけど、まず曲名がスゴい。「好きなコ”が”できた」ではなく「好きなコ”は”できた」。あと割と最初の方で「そばにいなくても この世にいなくても」っていきなり身も蓋もないことを言うし、「君が夢を捨てたまま プライドもないならこいよ」「ぬれない相手を 質草にかえて」みたいな露悪的な部分もある。ほんとに”好きなコはできた”だけの、他に何もない状態の男が最大限に浮かれてる歌だと思うと、泣かせるし、同時に希望も感じる。「ないよりは 何もないよりは」…と、かすかな手掛かりめいた幸せをなんとか掴もうとする心情、そのギリギリさが、実際に恋をしていてもいなくても思いっきり自分事として感じられて、何も良いことが無いウダウダした気持ちの日に一日中聴いていた。

ギターコードが比較的簡単だったから自分で歌おうとしたけど、後半の半分語りみたいになる歌い方が全然わかんなかった。はるってシンガーとしても相当スゴいと思う。

それにしてもこれが収録されている『とどめをハデにくれ』というアルバム、最初の2曲が「映画(ゴム焼き)」「好きなコはできた」と7分越えの大曲、その次も「日が暮れても彼女と歩いてた」って名曲が続く、初っぱなから大ボリュームの作品ですごい。ちなみに超名曲「とどめをハデにくれ」はこのアルバムには収録されていないので注意が必要。

 

大森靖子「VOID」

「好きなコはできた」と同じ日にやっぱり一日中聴いていた曲。10月は大森さんのインストアイベントに行けた。緊張したけど少し会話できて良かった。そのミニライブで「VOID」が聴けたんだけど、あまり聴き込んでいない曲だったのでサビまで何の曲か分からなかった。改めて持ってる音源で聴いたら歌詞も曲調もかなり好きで、最近の(といっても数年前だけど)曲の中では一番好みの曲だと思った。

個人的な見方・感じ方だけど、大森靖子さんの曲はどれもあくまで女性目線で、それゆえ男性リスナーである自分は居心地の悪さを感じるところがある。これは決して悪い意味ではなくて、それゆえ生じる突き放された感じからかえって信頼感を覚えたり、それでもなお共感できる一部分がいっそう大切に思えたりするところが、彼女の曲の好きなところだ。ほかの僕が好きなアーティストは(女性アーティストでも)歌にかなり自分を投影して好きになるのだが、彼女の曲に関しては常に性差から来る距離を感じながら接している。一人称や二人称でなく三人称として、ときどき共鳴を感じる、くらいの感覚だ。

「VOID」はおそらく男性目線の曲だけど、やはりこの曲も男性が歌うと成立しないと思う。かなり危うい、しかも現実に存在するであろう関係とシチュエーションを歌ったこの曲は、作詞者や歌手が男性だったとしたら、同じ歌詞だったとしても、男女関係の歪みの部分だけを感じさせるあまりにもドギツい曲になってしまうだろうと思う。それを大森さんが書き、歌う事で、歌われている状況の美しさや愛おしさがギリギリ掬い出せているところがこの曲の良いところだ。

世間的には決して褒められたものではない人・出来事・感情・関係性について、それでも存在する、あるいはそれにしか存在しないポジティブな何かをギリギリ掬い出しているということが、歌詞に限らず映画や小説など作品一般に対して、僕が良いと感じる基準の一つだ(例外はあると思う)。この曲はまさにそういった、誰も光をあてないところにちょっとだけ光を当ててくれるような、でも少し突き放しているような、この曲にしかない種類の優しさがこもっている歌詞だと感じる。

ちなみに僕が聴きまくったバージョンはアルバム『クソカワPARTY』のフィジカル盤にしか収録されていないトラック。アコギ1本で弾き語り形式のすごくシンプルな演奏で、サブスクにあるバージョンとはかなり印象が違う。

 

ドレスコーズ「やりすぎた天使」

ドレスコーズの新譜『戀愛大全』が、かなり良かった。ソロになってからのドレスコーズは、最初の『1』を除き全てチャレンジングなコンセプトを持ったアルバムだった。具体的には、極端にポップなギターロックの『AUDITION』、ファンク調で厭世的な『平凡』、ロマ音楽と終末世界がコンセプトの『ジャズ』、ピアノの弾き語り中心で極度にミニマルな『バイエル』と言った具合。それらは常に今までの志磨遼平のイメージを覆すような衝撃的な作品になっていた。しかし今回は、夏を舞台にしたラブソングという世界観的なコンセプトはあるものの、曲調は全曲いたって普通なポップソングになっていて、直近4作と比べると、志磨遼平本来の持ち味がそのまま出ているようなアルバムだった。そういった意味で、ソロになって最初に出した最少人数で製作された超名盤『1』とどこか重なる雰囲気もある。しかし『1』に漂っている内省的な攻撃性(バンドを自分の手で終わらせた直後なのを踏まえた歌詞が多く、めちゃくちゃ自虐的になっている)は今回皆無で、むしろ本人もインタビューで語っているとおり徹底して三人称視点の曲になっているぶん、気軽に聴くことのできる爽やかさがある。

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特にこの「やりすぎた天使」が一番好き。リード曲なだけあってアルバムで最も陽性の賑やかさがあるけど、歌詞は切なくて、”正しくないもの”への優しい眼差しにも溢れている。多重録音されているボーカルが良い味を出していて、特に低い方の声が耳に心地よい。歌詞を読むとどうやらブロマンス的な物語なのだが、歌われている描写は”恋愛”というよりは、友情、もしくは失われたものを惜しむ気持ちといったニュアンスに感じる。しかし「ほんとにだめなぼくの天使」と歌ったり『戀愛大全』というタイトルのアルバムに入っていることで、そのニュアンスが限りなく”恋愛”に近づいて微妙なものになっているところが、いいなあと思う。

ドレスコーズもインストアイベントに行った。大森さんとは対照的にシャイな人柄が表われていて、こちらもとても楽しかった。

 

Fishmans「チャンス」

フィッシュマンズは前から聴いてはいたけど、最近特にハマってる。人生が上手くいってないと人はフィッシュマンズにハマるのかもしれない。中でもこの「チャンス」は最初聴いたときから好きだったけど、もっと好きな曲になった。

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最後の「~から好きさ」が続くところが特に良い。「きらいな言葉 言わないから好きさ/タバコを立ててすわないから好きさ/いっしょうけんめい話すから好きさ/わかったような顔しないから好きさ/自分の言葉で話すから好きさ/悪口ばかり言ってるから好きさ/ただ ただ楽しい あなたが好きさ」良すぎるので全部書いちゃった。この表記のひらがなと漢字の使い分けも良いんだよな。わかりやすくポジティブなことだけじゃなくて「悪口ばかり言ってる」みたいに一見ネガティブなことも「好きさ」と言ってくれるところが信用できる。音源によって「とっても静かな顔をするから好きさ」や「とっても普通で変わってるから好きさ」など微妙に変わることがあるのもおもしろい。

もちろんこの部分以外の歌詞も好き。QJ(クイック・ジャパン)のフィッシュマンズ特集が載ってる号を持ってるんだけど、エンジニアの人が「ビー玉みたいなきれいな眼」ってサトちゃん本人がまさにそうだって言ってた。このQJ18号はトモフスキーの特集も載っていて、サトちゃんもトモフもインタビューの中で散歩とTV鑑賞ばっかり毎日してると言ってておもしろかった。

 

 

というわけで、10月はこれらの曲みたいな感じの毎日でした。

神聖かまってちゃん『友だちを殺してまで。』レビュー

『友だちを殺してまで。』(2010/03/10発売 パーフェクトミュージック)

収録曲

①ロックンロールは鳴り止まないっ/②ぺんてる/③死にたい季節/④23歳の夏休み/⑤学校に行きたくない/⑥ゆーれいみマン/⑦ちりとり/(シークレットトラック・バイトなんかでへこたれないぞっ)

 

 記念すべき1stアルバム。とはいえここに至るまでライブやネット上のデモ音源で既に大量のレパートリーが発表されており、その中から選りすぐりの曲が選ばれている、言うなればベストアルバム的な意味合いもある作品である。

 

 そういうコンセプトで作られただけあってどの曲も初期かまってちゃんの代表曲となっているが、なんといっても①が圧倒的。この曲が堂々と1曲目に置かれていることで、挑戦的なバンド名やアルバム名、アートワーク(裏面ジャケットがちょっと怖い)から受ける印象からは程遠い、単に過激さや奇を衒っただけのバンドではない良質なソングメーカーであることを示している。それと同時に、ここで歌われているのは、ロック史の中で自分たちが名を刻む存在であること、そこで自分たちがどういう立ち位置であるかを俯瞰的に見据えていること、「遠くで近くで」とあるようにインターネットを通じてリスナーとの距離感のあり方に革新をもたらすこと等、神聖かまってちゃんという存在の何たるかを明確に示した宣言である。そのアティチュードは単なる初期衝動という言葉では表せない聡明さと、どんな受け手の存在も念頭に置いている覚悟の強さ、そして優しさをたたえている。

 

 ②も①と同じくピアノの音が印象的な、屈指の美メロ曲。歌詞の内容は①よりもグッと内省的になっており、むしろこちらが本懐といったところだろう。「放課後はまた蛙道/ゲロげーロだぜくそがぼくは/ゲロまみれだくそがまじで/どうでもいい」という歌い出しからすでに、汚さと可愛げ、即物性と叙情性、そしてユーモアが同居する、の子特有の詞世界を味わわせてくれる。「ぺんてる」というのは彼が子供時代よく通っていた駄菓子屋の愛称らしいが、歌詞の中でそのことはハッキリ説明されてはいないため、「ぺんてるぺんてるに」という繰り返しの響きが抽象性を帯びることとなっている。このように歌詞に理屈を求めすぎないスタンスは、詞が単にメッセージの伝達ではなく音楽に寄り添った自由度の高い言葉であるという意味で、神聖かまってちゃんの音楽性を支える重要な要素であると思う。後半の語りパートから最後にかけては、リズミカルに、そしてなだれ込むようにエモーションが高まっていく、かまってちゃんの曲の中でも他に類を見ない盛り上がりである。

 

 屈指の名フレーズがギターで刻まれるイントロで幕を開ける③は、「死にたい季節」という刺激の強いタイトルとは裏腹に、ゆっくりと語りかけるように諦めの境地が優しく歌われる。「ラジカセ」というアイテム選びが特に素晴らしい。自分の音を流すための道具であり外の音を受信するための道具でもあるラジカセが「流れない」と歌う事で、多角的に孤立というものが表現されている。前半の詩がレトリックに富んだ豊かな言葉遣いであるのに対し、後半がサビと「僕は早く死にたい」の繰り返しになっていく切迫感が何とも胸を打つ。

 

 ④はこれ以降何度もリメイク・変奏されるアンセム。「23才」という年齢は、人生を順調に進めてきた人であれば皆社会人1年目を迎えているはずの年という点で意味深い。歌詞中では無職・ニートを直接的に思わせる言葉が一切出てこないにもかかわらず、明らかにそういった状況の人物が歌っていることを否が応でも想起させる詞は、代表曲になるのも当然の完成度。Cメロで照れ隠しのように他愛のない言葉遊びが繰り返された後、思い出したように「そういや君はどうしているのかな」と顔を覗かせる素直な切なさが泣ける。

 

 ⑤はこのアルバム唯一の、パンクらしいわかりやすい攻撃性を持った曲。ごくミニマルな歌詞の中に含まれる情報は「学校に行きたくない」「計算ドリルを返してください」の2つのみ。前者から後者への急激なズームアップによって、「学校に行きたくない」という漠然とした憂鬱と、いじめっ子に計算ドリルを盗まれるという実在感に満ちた絶望とを行き来する。かまってちゃんの攻撃性は常に、無力な嘆きとして、または自分に向けたものとして投げられる。

 

 引き続き学校を舞台にした悲惨な歌詞の⑥は、自殺願望を持つ少年がそれがなんの成果も生まないことを知りつつ結局は自殺してしまうという、⑤を上回るほどの救いのない内容である。それでいてメロディは童謡風で親しみやすかったり、「ゆーれい」という表記や「ゆーれいみマン」というダジャレ、「あげぱんでも買ってあげなさい」のくだりなど、そこはかとなくユーモアも感じさせたりもするところにこの曲の凄味がある。ラストの4行は皮肉っぽさと悲しみと美しさが最高レベルで結実した詩情あふれるフレーズで、カタルシスの極地。また、細かいところだが、「僕のことを」の一言が歌詞カードに記載されていないところに、どことなく奥ゆかしさを感じる。

 

 徐々にネガティブさを増していくゆるやかな地獄めぐりのような②~⑥を経て、アルバムのラストを飾る⑦は、ただただ純粋でプリミティブな恋の物語である。他者から疎外され、攻撃され、自己嫌悪にさいなまれてばかりの人生に、それでもかろうじて救いのようなものがあるとすれば、この曲で歌われているような感情なのではないだろうかと思わせる美しい曲。⑥の「僕のことを」と同じく、「この馬鹿野郎がー!」(聴き取りにくいけどたぶんこう言っている)や「走って」という部分などが歌詞カードには記載されていない。いっぽう歌詞カードに書かれている「僕もあなたをちりとりたいのです/奥まで/奥まで」という最後の3行は実際に歌われない。このように歌詞カードと実際の歌唱に微妙なギャップがあることで、より”ナマの感情”、”いまの感情”っぽさを生じさせている。

 

 本編からブランクを挟んで隠しトラックとして「バイトなんかでへこたれないぞっ」という曲が収録されている。おそらく実体験そのままであろうストレスフルな状況を歌った歌詞だが、全編とにかく笑える。嘆きや怒りといった感情を大事にしているの子だが、状況を客観視して可笑しみを見出すことも決して忘れない、彼の人間的魅力として重要な一面が確認できる曲である。ユーモアセンスとしてももかなり秀逸で、「やる気あります清掃します」のところは絶対笑ってしまう。このようなコミカルに振り切った曲を本編には入れず、ボーナスとして収録するバランス感覚も評価すべき点である。

 

 このアルバムの特徴として、「子ども」というキーワードが挙げられる。全7曲中5曲が明確に小学生~高校生視点の歌詞で、「ジャポニカ学習帳」「計算ドリル」「掃除当番」など象徴的な単語も登場する。例外である③と④も、前者は「知恵の林檎を今更食べても遅いから」という表現で、後者では「夏休み」という児童を思わせる単語で、成熟できなかった大人を表現している。その他、ジャケットのブランコやタイトルの「友だち」という表現も幼児性を感じさせるし、そもそもバンド名が「ちゃん」で終わることや「の子」という名前も「子ども」を連想させる。

 前述の通り、既に大量にあったレパートリーの中からCDレビューに際してベスト的に選曲したのが本作だが、そうして選ばれた曲に「子ども」の要素が多いのは興味深い。トラウマや怒り、初恋や希望といった、神聖かまってちゃんのテーマの核となる要素は、多くの人にとってもそうであるように、の子の子ども時代が源泉となって生み出されていることを伝えている。また、リスナーにとっても、神聖かまってちゃんという存在が「子ども」のイメージをまとって音楽業界に正式に現われたことの意味は大きかったであろうと思う。当時のかまってちゃんはその純粋さ、攻撃性、弱々しさ、得体の知れなさ、将来性、そしてキュートさといったあらゆる意味で、まさに「恐るべき子どもたち」だったのだろう。しかしそのイメージも、ある種彼のクレバーで冷めた「大人な」部分によって造り上げられたものでもあることがまた、神聖かまってちゃんがしばしば持つ、油断のならない両義性を感じさせてくれる。

『NHKにようこそ!』3媒体比較感想

2021年、滝本竜彦氏の代表作「NHKにようこそ!」の新作「新・NHKにようこそ!」が、彼の所属するバンド拳作家集団“エリーツ”の同人誌上で発表されました。これを機に、過去小説、漫画、アニメの3媒体で展開された「NHK」を再読、再視聴した感想のメモです。

 

アニメ『N・H・Kにようこそ!

N・H・Kにようこそ! (gonzo.co.jp)

2006年7月~2006年12月放送

 

・漫画版の連載途中に制作・放映されているため、アニメ前半部は漫画版ベース、後半部は小説版ベースの展開になっている。

・いちばん良くまとまっていて、エンタメとして観やすい作品になっている。

・前半のモラトリアム生活描写は、悲惨さよりもむしろダウナーな青春っぽさを感じて心地よい。佐藤、岬、山崎に対して愛着が湧きやすく、ずっと彼らの生活を観ていたい気分になる。

・アニメとしてはそこそこ良いクオリティーだと思う。ただし、4話と19話は作画が荒れているというか独特の画風で戸惑った。特に19話は話の内容もキツいので、ちょっと体調の良い時じゃないと観れない。

・音楽がめちゃくちゃ良い。OPの「パズル」、EDの「踊る赤ちゃん人間」「もどかしい世界の上で」はもちろん、パール兄弟による劇伴も素晴らしかった。サントラアルバムを今回初めて聴いたが、ほぼ全部歌詞がついててビックリした。

・自殺オフ会回のオチがより納得いくものになっていたり、岬の母親のエピソードがより明確なものになっていたりと、漫画や小説に比べて腑に落ちる展開になるようブラッシュアップされていて、これが見やすさにつながっていると思う。

 

小説『NHKにようこそ!

2001年連載、2002年単行本発刊、2005年文庫化

 

・アニメ版のあとに読むと、思ったよりエピソードが少なく感じた。そのぶんタイトで直線的な話運びになっていて、この物語の本筋がよりクッキリした。

・あくまで主人公佐藤の物語が主軸になっている。

・作者独特の文体がそのまま主人公佐藤のパーソナリティを体現しているため、佐藤の独白やモノローグがこの作品の大きな魅力を為している。文章表現ならではの勢いや、地の文のどこかズレた感覚によるおかしみが独特の味わいがある。特に、エロテキストを書きながら自己嫌悪に陥る描写が秀逸だった。

・佐藤に比べて、山崎や岬といったキャラクターは比較的内面描写が少ない。ただし、山崎が完成させたエロゲーの文章で最終的な彼の本心がわかる展開があったり、岬のある計画が物語の裏で進行していたことが明かされたりと、ドラマチックな形で彼らのキャラが立っている。

・柏先輩がらみの描写が良かった。佐藤の初体験にまつわるエピソードは「NHKにようこそ!」シリーズの中でも一番引っかかりやすいところだが、小説版がもっとも露悪的でひねくれた描写になっている。これと同じモノローグを漫画版やアニメ版の佐藤に言わせてしまうと、キャラクターに絵が付いているぶんイヤな感じが出すぎてしまい感情移入の妨げになってしまうと思う。しかし小説の文字面だと普通に読めるし、佐藤のひねくれ方の根深さがわかる重要なエピソードになっている。ほかの場面でも佐藤と柏先輩の互いに軽口を叩きあう関係が見え、腐れ縁といった感じの微笑ましい関係にも思えた。柏先輩は小説版だと2・3回しか出てこないが、こうした小説ならではの佐藤との掛け合いの妙で、愛すべきキャラクターになっている。

 

漫画『NHKにようこそ!

 2004年~2007年連載 全8巻

 

・エピソードの詰め込み方が大胆。読んでる体感としてスピーディーで、スラップスティック的な味わいがある。

・小説に比べて群像劇的な色合いが濃くなっている。佐藤だけでなく岬や山崎も主人公のような扱いになっていて、二人や柏先輩のキャラクターは格段に膨らまされている。その他多数の新しい登場人物が追加され、どれもそれなりにドラマを背負っている。佐藤の両親の描写は特に良かった。

・「原作:滝本竜彦 漫画:大岩ケンヂ」というクレジットになっているが、滝本氏の「原作」は単に原作(小説版)提供という意味ではなく、新たに漫画版のプロットを書き下ろしており、大岩氏と2人でこの漫画を作り上げていることが8巻のあとがきや各巻カバー袖を読むとわかる。つまり滝本氏と大岩氏はこの漫画における佐藤と山崎のような関係である。

・そんな製作体制も影響してか、佐藤と山崎のクリエイターを目指すエピソードが、小説より大幅に膨らまされている。少なくともクリエイターへの道という意味では、3媒体で最も希望のあるラストになっている。

・全体的に、小説版の解体と再構築を目指した作品になっている。小説のエピソードが登場人物を入れ替えて繰り返されることで全く違う意味を持っているという場面が多い。具体的には、「自殺しようとしている岬を電車で追いかける佐藤」という構図が、漫画版では全く逆転して佐藤の自殺を岬と山崎が止めようとする話になっていたり、小説版とアニメ版ではオチになっている「契約」を岬が交わす相手が、佐藤ではなく漫画オリジナルの登場人物になっていたりする。最終回で佐藤が「ダイブ」するのは小説版と同じだが、その状況や目的意識が原作と全然別物になっているのが面白い。

・上記のエピソードの解体にも密接に関わっていることだが、中原岬のキャラクターが相当変わっている。この変更点が原作と漫画の違いとして一番大胆であり、人によってはショッキングかもしれない。漫画版の彼女は、序盤ですでに佐藤の部屋に盗聴器を仕込んでいる描写があるなどかなりヘンな子になっているが、回を追うごとに「構ってちゃん」かつ「ヒロイックシンドローム」な描写が増していく。個人的には、『さよなら絶望先生』の日塔奈美や『かってに改蔵』の名取羽美といった久米田康治作品のヒロインも想起される、好きなタイプのキャラクターになっていたので、この変更は概ね楽しめた。小説では文字通り天使性すらあるヒロインの岬ちゃんだが、漫画版ではより人間くさく厄介なキャラクターになっており、小説岬ちゃんと漫画岬ちゃん2つあわせて魅力的な中原岬というキャラクターになっていると思う。

 ・原作小説の解体、中原岬の再解釈など漫画版独自のツイストを意識するあまり、展開が急ハンドルになりすぎている部分があるのも事実だと思う。ただ、それもこの漫画自体の持つ独特のスピード感を形成する要因となっていて、あながちマイナスとも言えない。

大槻ケンヂ全オリジナル・アルバムレビュー③ 筋肉少女帯 後編

agriy.hatenablog.com

agriy.hatenablog.com

第3回目です。筋肉少女帯の13枚目~20枚目のアルバム、いわゆる”仲直り”以降の作品をレビューしていきます。もうすぐ21枚目のアルバムが出るようですが・・・。

回を追うごとにどんどん各アルバムに対する文章量が増えていっていますが、特に再結成後の筋少はリアルタイムで買ったものや繰り返し聴いたものが多いこともあり、第1回の「筋肉少女帯 前編」と比べてかなりの長文になりました。こうなると第1回や第2回の文章も加筆したくなりますが、べつに無理矢理長文にしたところで良い文章になるわけでもないかな~とも思っています。

例によって太字で挙げた曲がオススメです。

 

13.『新人』2007年

新人

新人

  • アーティスト:筋肉少女帯
  • 発売日: 2007/09/05
  • メディア: CD
 

 凍結直前期ののたうち回るような凄まじさから一転、「仲直りのテーマ」であまりにも能天気に再始動を宣言するあたり、やはりこのバンドは一筋縄ではいかないと再確認させる、筋肉少女帯約10年ぶりの新譜。「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」は休止前筋少の大名曲「蜘蛛の糸」を彷彿とさせる歌詞とギターフレーズだが、こちらは明らかに希望と開放感に満ちた陽性の曲になっており、筋少の変わっていない部分と成長・変化した部分が端的に表われている。

 歌詞面で特に印象的なのは「その後 or 続き」で、私小説風の雰囲気ながら内容自体は明らかに創作然としているという、不思議なバランスの作品になっていて新鮮味を覚える。

 また、自己言及的な歌詞が多いのも本作の大きな特徴。「新人バンドのテーマ」などそのままズバリの曲もあるが、「抜け忍」や先に挙げた3曲にもその要素があり、これら”再結成バンド自己言及シリーズ”とでも言うべき楽曲群がアルバムの中でもとりわけ魅力を放っている。単体で聴いても優れたアルバムだが、筋肉少女帯というバンドのストーリーを読み解く重要なピースとしても、非常に面白い作品。

14.『シーズン2』2009年 

シーズン2

シーズン2

  • アーティスト:筋肉少女帯
  • 発売日: 2009/05/20
  • メディア: CD
 

  ロックバンドをやっている喜びを高らかに表現する先行シングル「ツアーファイナル」、無謀な勝負に挑む勇者を鼓舞しつつも「タチムカウ」ほどの悲愴感はない「心の折れたエンジェル」筋少史上初の”結婚式で使える”ナンバー「世界中のラブソングが君を」など、王道の格好よさ、美しさを追求した曲が並ぶ本作。これまでにも『エリーゼのために』『キラキラと輝くもの』といったポジティブ志向の作品はあったが、それらと違っているのは、”オーケンがあえてポジティブさを追究している”という背景抜きで、ストレートに心に響く作品となっている点である。

 「人間嫌いの歌」「プライド・オブ・アンダーグラウンドで歌われるやや屈折した自意識やネガティブさも、切実に迫ってくるモノというよりはどこか客観視したニュアンスでカラッと歌われており、良くも悪くも大人になった印象。そうしたオーケンの変化を踏まえて「蓮花畑」を聴くと、成長や老いというものへの哀感に説得力が感じられる。

 筋肉少女帯再始動直前に「大槻ケンヂと橘高文彦」名義でアニメ『N・H・Kにようこそ!』EDテーマに起用され、筋少復活のきっかけとなった超名曲「踊る赤ちゃん人間」筋少ver.で収録されているのもうれしい。

15.『蔦からまるQの惑星』2010年

蔦からまるQの惑星

蔦からまるQの惑星

  • アーティスト:筋肉少女帯
  • 発売日: 2010/06/02
  • メディア: CD
 

 活動凍結の最中である2005年に橘高文彦への提供曲として例外的に筋少メンバーが集結した「DESTINYをぶん殴れ」の替え歌「アウェー・イン・ザ・ライフ」(元の歌詞の作詞者である水戸華之介もクレジットされているが、大槻がほぼ完全に歌詞を書き直している)、活動凍結直前の1998年に大槻のソロプロジェクトで発表され、筋少の終焉とその後の和解までを予見したかのような歌詞の「ワインライダー・フォーエバー(筋少Ver.)」の2曲は、バンド再結成後の彼らが奏でること自体が感慨深い、ファン泣かせのリメイク。

 妄想上の愛娘が登場する一連の楽曲群の第一弾とでも言うべき「あのコは夏フェス焼け」など、オジサンぽさを隠さなくなってきたオーケンの愛すべき通俗性が前面に出ているのは、彼の表現の変遷として興味深いところ。「若いコとドライブ~80’sから来た恋人~」はタイトルも無邪気なオマージュもつい笑ってしまう1曲だが、〈価値も 意味も 壊れ 変わりゆく 容赦なく 夢みたいに 生きてきた〉〈思い出は 去っていった 明日から どうしよう 生きていこう〉というフレーズは、何かに熱狂した経験のある人であれば心に刺さる歌詞である。

 「ゴミ屋敷の王女」は社会からはぐれて惨めに消えていく存在を温かく描いた、「ペテン師、新月の夜に死す!」や「サボテンとバントライン」等にも通ずるオーケンの本領発揮というべき隠れた名曲。

 

16.『THE SHOW MUST GO ON』2014年

THE SHOW MUST GO ON【通常盤】

THE SHOW MUST GO ON【通常盤】

  • アーティスト:筋肉少女帯
  • 発売日: 2014/10/08
  • メディア: CD
 

 特撮の活動や筋少のセルフカバーアルバム『4半世紀』の発表などを挟んで、筋肉少女帯のオリジナルアルバムとしては4年ぶりとなった作品。大槻がももいろクローバーZに作詞提供した楽曲のカバー労働讃歌が2曲目に据えられていることからも、全体としてマス層へストレートに受け入れられるような作品を志向していることが窺える。特に「ゾロ目」「恋の蜜蜂飛行」は、ややオカルティックなストーリーを語ってはいるものの、アングラ・サブカル的な要素の散りばめやひねりの利いた結論といったものは全く入っていない。しかしそれでもこの2曲は筋少らしさ全開の傑作として聞こえるところに、このバンドの守備範囲の広さが実感できる。

 一方で、津山三十人殺し都井睦雄を題材にとった「ムツオさん」のような、最初期を思わせるアングラな曲、あるいは「月に一度の天使(前編)」「(後編)」のような特撮以降たびたびあるトホホ感たっぷりの歌詞などもあり、筋少大槻ケンヂの多彩な魅力がまんべんなく詰まったアルバムでもある。

 ライブやツアーを題材にとった歌詞が多いのも特徴で、1曲目の「オーディエンス・イズ・ゴッド」で始まり、ラスト2曲の「気もそぞろ」「ニルヴァナ」で終わるというひとつのライブ公演をイメージしたような曲構成である。こうしたコンセプトの綺麗さも含め、再結成後筋少の中では最もストレートに薦めやすい名盤である。

 

17.『おまけのいちにち(闘いの日々)』2015年

おまけのいちにち(闘いの日々)

おまけのいちにち(闘いの日々)

  • アーティスト:筋肉少女帯
  • 発売日: 2015/10/07
  • メディア: CD
 

 前作『THE SHOW MUST GO ON』で極まった陽性のゴージャスさから一転、ややダークな雰囲気と渋めのノスタルジーを感じさせるアルバム。「レジテロの夢」「混ぜるな危険」オーケンの少年性が全開になったような、中2心をくすぐる快作。特にアニメ『うしおととら』の主題歌となった後者は筋少のレパートリーの中でも最もストレートに”カッコいい”ナンバーになっている。

 「別の星の物語り」「おわかりいただけただろうか」の2曲は、どちらもかつての恋人に対して過去をふりかえり肯定する内容になっており、曲調はバラードとハード・ロックで正反対だがメロディが似通っていることからも、対になっているように感じる。

 少年性の発露も含め、自分たちの”過去”と向き合うことがこのアルバムを等して一貫したテーマとなっているが、それが一風変わった形で現われているのが「LIVE HOUSE」。この曲はGt.本城聡章が10代の頃作詞作曲したもので、あまりに純粋ポップ志向な作風のため当時は大槻らにからかわれていたが、とあるきっかけで再演したことでメンバーもこの曲の良さを再発見し、30年以上を経て収録されることになった、という経緯がある。この曲が収録されたこと自体が、過去をふりかえったときに恥ずかしさも含めて肯定できるようになった、という本作に通底するモチーフと一致している上に、珍しい大槻と本城のデュエットの楽しさも相まって、印象深い名曲になっている。

 「S5040」「夕暮れ原風景」という落ち着いた2曲で締めるエンディングも、筋少の中では異色で味わい深い。

 

18.『Future!』2017年 

Future! (通常盤)

Future! (通常盤)

  • アーティスト:筋肉少女帯
  • 発売日: 2017/10/25
  • メディア: CD
 

  タイトルからもわかる通り”未来”をテーマにした本作は、”過去”をテーマにした筋少の前作『おまけのいちにち(闘いの日々)』とわかりやすく対をなしている。あるいは、順番的に『おまけの~』と本作の間に位置する特撮『ウインカー』(2016年)を”過去と未来をつなぐ分岐点=現在”がテーマの作品と置き、『おまけのいちにち(闘いの日々)』『ウインカー』『Future!』を過去ー現在ー未来の3部作とみることもできるかもしれない。

 本作で示される”未来”は死や喪失といった暗い可能性をも含むものであり、Future!という威勢の良いタイトルから想起されるポジティブなイメージとは必ずしも一致しない。たとえば1曲目のオーケントレイン」では未来とは来世のことかもしれないと歌われるし、「ハニートラップの恋」(映画『パルプ・フィクション』へのあからさまなオマージュが微笑ましい)や「3歳の花嫁」といった物語仕立ての曲は、主人公に死が訪れる。しかしこれらの曲がいずれも明るさと楽しさに満ちて聞こえるのは、そうした悲劇も見据えた上で、それでも”未来”というものに希望を託さずにはいられない、悲観主義紙一重の、ある種究極のポジティブさが込められているからである。

 白眉はサイコキラーズ・ラブ」「告白」。「サイコキラーズ・ラブ」は、決定的な欠落を補い合える相手がいるかもしれないという希望が優しいメロディで歌われる泣かせの1曲。一方「告白」は世間一般で美徳とされている”人間らしさ”に共感できないことを、極めてストレートな”告白”形式で逆ギレ気味に歌う、オーケンの毒っ気全開の1曲になっている。この対照的な2曲に共通するのは、いわゆる”サイコパス”といわれるタイプの人間、つまり共感や愛を自明のこととして考えることに抵抗がある人の、生きづらさと孤独に寄り添う曲ということである。そうした自意識の問題を抱える人は(特にオーケンのファン層には)多いが、この2曲はそのような人にこそ共感や愛を与えてくれる、ある意味矛盾した効果を持ってしまっている名曲。この2曲が収録されているというだけでも大切に思えるアルバム。

 

 

19.『ザ・シサ』2018年 

ザ・シサ (通常盤)

ザ・シサ (通常盤)

  • アーティスト:筋肉少女帯
  • 発売日: 2018/10/31
  • メディア: CD
 

  メジャーデビュー30周年記念と銘打った、アニバーサリー色の強いアルバム。筋肉少女帯の活動を2018年当時の視点で自ら読み直した「I,頭屋」、若き日のステージに立つ自分を第三者視点で回想しつつ、最後のオチに驚愕を禁じ得ないネクスト・ジェネレーション」といった、30周年の節目を全面に押し出した曲が並ぶ。

 壮大な物語と脱力感溢れる語り口のギャップが何とも言えない「オカルト」、同時期に始まったソロプロジェクト・大槻ケンヂミステリ文庫(オケミス)のレパートリーにあってもおかしくないようなマリリン・モンロー・リターンズ」などが印象的。この2曲をはじめ全体的にオカルト要素が多く散りばめられているのも本作の特徴で、再結成後のアルバムの中では最もダークで奇妙な雰囲気を持った作品になっている。

 本作最大の魅力を持つ名曲は「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」であろう。主人公と微妙な関係にあるヒロインが恋人を殺してしまうという設定は、『キラキラと輝くもの』収録の「ザジ、あんまり殺しちゃダメだよ」を直接的に思い出させるが、ここでは“葬式”や“裁判”といった身もフタもない”その後”に主眼を置き、大人っぽい苦味をたたえている。サイコなキャラや背徳的な物語のもつ耽美性を徹底的に排除し、あくまで現実の生活の延長線上にありそうなやりきれない内容の歌詞にしたことは、オーケンの意地悪さと見るべきか誠実さと言うべきなのか…という、まるでこのアルバムのコンセプト〈視差(シサ)を利用したなら同じ対象も異なって見える〉そのもののような考えを巡らせてしまう1曲。

 

20.『LOVE』2019年

LOVE (通常盤)

LOVE (通常盤)

  • アーティスト:筋肉少女帯
  • 発売日: 2019/11/06
  • メディア: CD
 

 ここに来て『LOVE』というタイトルのアルバムを発表することそのものがバイオグラフィー上の凄味になっている、通算20枚目のアルバム。

 〈ありがと ごめん おはよう おやすみ また会えたらいいね こんにちは さよなら 愛してた〉という言葉を大切な人に今すぐ伝えようと訴える「from Now」、ハリウッドスターに自分を重ねることでつらさを相対化したり、自分や他人を尊重したりできるようになるというライフハックを教えてくれる「ハリウッドスター」など、いつになく具体的なメソッドで人生を励ましてくれる曲が並ぶ。これらの曲はともすれば説教臭かったり空々しくなりそうなものだが、それでも自己啓発的にならずに楽しく聴かせているのは、歌詞の絶妙なユーモアもさることながら、筋肉少女帯が大仰な演奏で祝福するように奏でていることの楽しさ、バカバカしさという、このバンドならではのバランスである。

 その一方で「愛は陽炎」「ボーン・イン・うぐいす谷」では、幻や理想を夢見ることの儚いながらも尊さを、俯瞰的な視点もありつつエモーショナルに描いてみせる。「ドンマイ酒場」「直撃カマキリ拳!人間爆発」はコント要素の入ったトボけたストーリー仕立てだが、コミカルさの裏に人生の哀しさを肯定する力強さをもつ、隠れた名曲である。

 再結成後のアルバムではライブやアーティストをテーマにしたメタ的な曲が多くなっていたが、本作では喝采よ!喝采よ!」の1曲にとどめられている。しかもここで描かれる”ステージに立つ”という行為はこれまでより抽象化されており、人前で歌うという生き方の業を描いたより普遍的な話になっている、一連のメタ的な曲の決定版的な1曲となっている。

 年齢を重ね精神的に安定した事からくる器用さと、それなりに紆余曲折ある人生を送ってきたがゆえの優しさがどちらも高いレベルで作品に現われているのが本作。筋肉少女帯全キャリアを通しても最高傑作のひとつとして差し支えない、屈指の名盤である。

 

 

 

第4回はソロ、UGS、電車、絶望少女達、オケミスなどのプロジェクトで出されたアルバムをまとめて紹介する予定です。乞うご期待!